スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 
 

辰年のHonesty

遅ればせながら、明けましておめでとうございます。

とはいえ、新しい1年が始まった、という実感がないのが正直なところ。
2ヶ月後に「1年という時間」を噛みしめることになるでしょう。

それまで、「あの日」を語る言葉をより深くしていきたいものです。

などと改まって言うのは、年頭ということもあるけど、ある危惧の念があるから。
それは、歌にしろ、ドラマにしろ、いろいろな表現の場での言葉や語り方が、
急速に単一のトーンを強めたまま、進展の見込みがないような気がするというモノです。

単一のトーンとは、一言でいえば「三流少年マンガ的」というコトになるかな。

ある人物の「願う」とか「信じる」という心情に根拠が薄ければ薄いほど、
その「希望」は尊いモノと見なされ、それが個人的体験によるものであればあるほど、
美しい「絆」として位置づけられ、「感動的」であるとされるが、その体験自体は
理解が容易な定型化された構図を持っている必要がある。

そんな、実に単線的で、稚拙な理想化に傾き過ぎているように感じるんですね。
なんというか、イメージのデフレが下げ止まらない。
安物の夢を薄利多売する傾向へ向かっているような感じ。

清貧を看板にするような野暮は大嫌いだけど、安物の夢を売り抜けた稼ぎじゃあ、
おそらく美味しいは飲めないだろうなあ。

こんなこと言ってると、僻みや妬みだと思う人もいるかもしれないけど、
それは半分かそれ以上は当たっているような気もする。
そういうモノも、なかったことにしないのが僕なりの"Honesty"だと言ってみようか。

僕の誠意や矜持なんてその程度のもんですが、せめてその程度くらいは、
忘れないようにしたいと思います。

今年は辰年。龍の年。
龍とは、そもそも地脈水脈から生成するエナジーの迸りであって、
それが天へ登ってはじめて龍となり、天を駆けるパワーとして顕現するモノ。

安物の言葉ばかり放り投げていては、龍を呼ぶどころか、ザリガニすら二度寝する。
つまんない言葉はグッと呑み込み、エナジー込めて言い換えていきましょう。
例の七つの球を集めるより簡単なはずだよね。
ホントの勇気って、案外そんなコトのような気がするんだ。

そんなわけで、みなさま本年もよろしくお願いします。
スポンサーサイト
 
 

我が手に炎の糧を携えん (ラー油作ってみました)

*参考*
http://bit.ly/78F2FF


ヴァース1

細く白い細長い艶躯(からだ) <ネギはみじん切りです>
両手に こぼれんばかりに   <2本ぐらいいきましょう>
命の根は分かたれて 散り散りに <にんにくを2~3かけ、粗く潰します>
炎の欠片も 道連れにしよう <唐辛子2~3本をを小口切りにします>


ヴァース2

灼熱の業火は 終の棲家 <フライパンを温めます>
滑らかな地獄へと落ちてゆこうか <ごま油50ml サラダ油30mlを弱火で加熱>
新たな痛みも わが身の中へ <そこに一味唐辛子とヴァース1の食材を加える>
燃えさかる炎に 鎮まる世界 <沸騰したら弱火にして2~3分加熱>


コーラス

冷たく甘い この痛み なつかしくも <火を止めて、冷めてから黒糖(小1)塩(小1)醤油(大4)を加える>
ああ 新たな 世界の扉が はるかに・・・ <お好みで、八丁味噌、胡麻、山椒など、工夫次第でいろいろ楽しめるよ!>

いま また キミをいざなう・・・ <ぜひお試しを!>


 
 

悲しいって・優しいって・正しいって

言われるぜ。




キチガイって言われるぜ。

そうか、楽天で買えないのはこの歌詞のせいか。
プラチナ会員としては残念だよ。


言葉に逃げ腰な人間ばかりがのさばり、
言葉に喧嘩腰な人間は相場違いに持ち上げられて、
右も左も、話にならない世の中ですから。

自分の不遇や立場を棚上げしてでも本当の事を言っちゃう人は、
キチガイって言われるぜ。
燃えるゴミと燃えないゴミを分ける感覚でな。

 
 

徒労感謝の日

ここ二日間ほど、久しぶりの筋肉痛に悩まされていた。
「ふつかかん」を「二日巻」と変換するPCに悩まされっ放しでもあるけどそれはさて置き、
連休を利用して高原のロッジで庭球に興じていたわけではありません。
そういう甲斐性の持ち合わせがないということはご存知のとおりだし想像通りです。

勤労感謝の日(この名前についてはいろいろ思うところはあるけれど今はやめておく)
に行われた「みちくさ市」というイベントに有志と共に出店しており、その設営が原因でしょう。
正確には分からないけど、300冊以上の本を運んでいれば、体もくたびれます。

当日はちょっと他の用事があったので店番はほとんどできなかったけど、
やはりどんなに小さくても「店を出す」というのはいいですね。
「志を持って世の中と向き合う」という、清々しい充実感があります。
いやあ、いいもんですね。


 
 

ビール減税を

今夜も蒸し暑いなあ。
ちょっと机の上を整理して、古い請求書をシュレッダーにかけて、なんてことをしているだけで、
すぐに額に汗がにじんでくる。
これではいつも以上にビールを飲まざるを得ないではないか。
自然の摂理を曲げることなど僕にはできないし、そうしようとも思わないので、素直に従うだけです。
ああ、今度の選挙でビールの無料配給制度を公約にする党があれば迷わず投票するのに。

まあそれは冗談としても、ビールの税金は下げてほしいものです。
いきなりビール全体を減税というのは無理かもしれませんが、段階的に地ビールから始めてはどうでしょう。
先日読んだ『ビール大全』でも言及していましたが、せめて中小のブルワリーに対しては、
事業の規模に合わせて税率を軽減するとか。
ここに一票転がってるので、考えてみてほしいモノですね。

大手のビールメーカーが反対しそうですが、そういうのを尻の穴が小さいと言うのです。
「麦の新ジャンル」などという訳のわからないものはさっさと捨てて、消費者とともに市場を作り、
「ビールという文化」を育てることに力を注ぐべきです。
長い目で見ればそのほうが結局は得するはずなんですから。
 
 

七転八転

ハードな一日だった。
前日に迫った法事の準備を済ませて、向かったのはS県K市。
学生時代を過ごした思い出の地だ。
ここに居たのはわずか二年ほどだというのに、故郷のように懐かしい。
記憶とは奇妙なものだ。
時間の価値や意味を変える関数を持っているのだと、あらためて思う。

雨だった。
季節はずれの寒さの中、降りたったその町はすっかり様変わりしていた。
駅前の待ち合わせの定番だったファストフード店は空き店舗になり、
取り壊されぬままに残されていたファッションビルの抜け殻は取り壊し中で、
むき出しの鉄骨を灰色の空に晒していた。
もう少し見て回りたいが、時間がない。

合流地点は、以前はなかった居屋チェーン店だった。
新歓コンパの時期も過ぎたのだろう、座敷の空きが多い。
席に着くと、もう数年ほど見ていない顔ばかり。
それでも不思議と懐かしさを感じない。
まあ僕の世間の広がりのなさがそう思わせるのかもしれない。

学生時代の話から、あちこち話は飛びながら、は進む。
きちんと話の内容を書かないのは、覚えていないからである。
柄にもなく、内心はしゃいでいたらしい。
要するに、飲みすぎた。

気がつくと、夜行列車に乗っていた。
我が家へ向かっている便ではなく、サザンクロス行きでもない、
というのが分かったのは、車掌が乗車券の確認に来たからだ。
当然そんなものは持っていない。
というか、どのように乗り込んだのかも覚えていない。
電池残量の心細い携帯電話で何とか連絡を取り、
アルコールを飲んでいないS沼が愛車で迎えに来てくれることを取り付ることができたので、
日本海を目指していた列車からG県M駅で降ろしてもらう。
このあたり、朦朧としていたので記憶がはっきりしない。

ともかくも、S沼には何とお礼とお詫びをすればよいやら。
いや、S沼様とお呼びするべきだ。
なんとか無事に法事もこなせました。
ビールの自家醸造をしようと思っているので、完成したら真っ先に送ります。
浴衣付きで。

結婚するM嬢への餞に書いた、「七転八転」という言葉。
自分にこそ相応しかったようです。
今後は座右の銘にしたいと思います。
 
 

第7回リアルエールフェスティバル

来てます!
 
 

クラフトビアフェス

ちょっと前の話になるけど、クラフトビアフェスに行ってきた。
正式には「Nippon Craft Beer Festival」という名称。
半年ほど前に行ったリアルエールフェスティバルとほぼ同じ趣旨のイベントだ。
ということは美味しいビールを樽から直接飲みまくろうということだ。
しかもこの時期に行うということは、これは豊かに麦を実らせる大地や太陽や川や雨に対して、
また、日本各地のビール職人がそれを活かして手間隙をいとわずに精魂込めて作り上げた、
「魂の水」としてのクラフトビアへの感謝と畏敬を捧げようという極めて尊い精神に基づいたイベントであり、
いわばハーヴェストフェスティバル、収穫祭なのであって、農耕の恩恵を受けるようになった人間社会が、
決して忘れてはならない自然との繋がりを再確認する祭礼なのである。


 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。