スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 
 

Something To Talk About を超訳してみた

やってみたらこんなに面白いとは思わなかった、
ロック歌詞超訳の試み。

今回はこちら。

Badly Drawn Boy
"Something To Talk About"

前の2回で取り上げたミュージシャンに比べて知名度が低いので、
簡単に紹介しておいた方がいいですね。

と言っても、僕も特にこの人のファンというわけではなく、
以前"About a Boy"という映画を観たんですが、
その作中でこの曲が使われていたんですね。
つまり、僕もよく知りません(笑)。

なんですが、次に超訳する題材を探している時に、
特にきっかけもなくこの曲を思い出しまして、
ざっと歌詞を読んでみたところ、シンプルな内容の奥に、
何かメッセージの脈みたいなものを感じました。
それに現在の状況をぶつけてみたくなり、
やってみたわけです。

僕がやっているのは飽くまで「超訳」なので、
文字どおりのテキスト置き換え的な整合性よりも、
時代や国などの隔たりを軽やかに跳躍して、
歌の力を感じるコトを目指しています。

で、動画は、公式PVもあるのですが、映画のある場面を使った
仕掛が施されていて、映画を見なければ意味が分からないので、
別のものにしました。

~・~


スポンサーサイト
 
 

Wake Me Up When September Ends を超訳してみた

なんだか前回の日記が気持ちよく書けたので、
反応の薄さが気になりながらも第二弾をやってみる。

左脳流ロック歌詞超訳の試み。
今回はこちら。

GREEN DAY
Wake Me Up When September Ends

動画は前回取り上げたエルヴィス・コステロと、
今回取り上げたグリーン・デイのヴォーカル、
BJ・アームストロングが共演しているモノがあったので、
それをご紹介いたします。

~・~

 
 

Oliver's Armyを超訳してみた

エルヴィス・コステロのOliver's Armyを超訳してみた。
むしゃくしゃしてやった。
気にすんなよ。




 
 

僕らはサンチャイルドの友達になれるか

佐野元春が好きだ。

こんなふうにあらためて言う機会はないし、あんまり人に見せる記述でもないので、
今までそういう話はあまりしなかったんだけど、最近になって過去の作品を聴くと、
以前とはまた違った感触を覚えたので、思わずこう書き出してしまった。
それは初めて聴いた時の何とも言えない、胸を掻き立てられるような気持を蘇らせるとともに、
なんというか、「アルバム」という作品単位について考え直すきっかけになったからだ。
佐野元春のアルバム「SOMEDAY」を聴いていると、それぞれの歌の中に、そして歌と歌の間に、
ある少年が大人になっていくような、青春大河ドラマ的な時間の流れを見出すことができる。

1曲目。「Sugar Time」 全ての恋する少年少女の魂を祝福しながら始まる。

2曲目。「Happy Man」 怖いもの知らずな若者が時間を忘れるために都会の夜に踊り狂う。
3曲目。「DOWN TOWN BOY」 傷ついた若者が「やりなおす勇気」を掴もうとする。
4曲目。「二人のバースデー」 拙い愛情が形を成しかけている喜び。
5曲目。「麗しのドンナ・アンナ」 愛は消えてしまいそうだ。それでも捨てきれない夢。
6曲目。「SOMEDAY」 都会。新しい生活。期待と不安。掴みきれない愛。一歩踏み出す。

というところで、「A面」が終わる。
ここが重要なんだよなあ。
僕はCDで元春を知ったので、このアルバム構成はあとから仕入れた知識なんだけど、
これは「アルバムという作品単位」として実に意味があるんじゃないかと思うんです。

ここでは「A面が終わった」という区切りを感じさせるコトがまずは必要になる。
「SOMEDAY」の時点までの、青春の躍動的な部分を歌い尽くしておくというのが、
この曲順を組む必要条件になるということですね。

同時に、「彼はこの後どうなっていくのか」という「B面への期待」を高めることも、
ここに持ってくる曲にとっては大切な役割になってくる。
これを必要条件を満たしながらクリアするには、アルバム前半部のイメージを総括し、
且つ後半部へのイントロダクション的なイメージを残すという、輻輳する時間を描き、
なお繊細に揺らぐ情緒を感じさせるソングライティングが不可欠になる。

その点、ファンの贔屓目は抜きにして、見事にクリアしていると思う。
これだけ上手く聴き手の想像力を喚起するような言葉を、8ビートに乗せて、
意味の躍動するフィット感で歌った曲は、やはり「時代のノリしろ」のような歌だろう。都会で孤独と自由と希望と不安に囲まれている若者の焦りと滾りがスープになっている。独りきりの新しい朝に湯気を立ててがんばっている。

そんなふうにあれこれ考えながら、盤を裏返し、あらためて針を落とす愉しみを、
同時代の文化として味わえないということがやけに寂しく思えてきた。

まあ、A面のある種の寂しさを余韻として響かせながら、B面が始まる。
この始まりもまた秀逸だ。

7曲目。「I'm in Blue」 破れた夢の欠片ごと抱きしめていく優しさ≒負けない強さ。
8曲目。「真夜中に清めて」 愛の周回軌道が離れていく。訣別を突きつけられる。
9曲目。「Vanity Factory」 街の享楽に溺れる。何もかも手放してしまいたい。
10曲目。「Rock & Roll Night」 全ての傷跡が輝きながら俺を押し上げる。今夜こそ。

と、ここで終っていれば、よくまとまったポップロック「曲集」だったろう。
最後にこの謎に満ちた小曲を持ってきたところが、「アルバム」という単位を、
僕に痛烈に感じさせたんです。

11曲目。「サンチャイルドは僕の友達」 この曲だけ、主人公の姿が全く見えない。

これはサウンドと歌詞からして生命誕生がモチーフだと思うのが自然なんだけど、
アルバムを聴き通すと、どうしても親友の通夜の情景にしか思えなくなってくるんです。
生まれたばかりの赤ん坊を「こんなに暖かい一日の光を誰かのために捧げるなんて」
などという言葉で歌いますかね。このアルバムの流れで。

「目を覚ますまで夢の中」なのは当たり前なのに、敢えて歌っている。
それに対応した「目を覚ますまで君のそばに」は「寝ずの番」の交代に思えてくる。

妄想と言われればそれまでだけど、これは元春なりの葬送の聖歌だったんじゃないか。

ということは、この「SOMEDAY」というアルバム自体が、元春が愛しい誰かに捧げた、
「輝ける鎮魂の花束」のようなものだったのではないか。
そのために、ポップスターとしてではなく、詩人としての言葉を刻んだのではないか。
自分自身は、花を包むセロファンのようでありたいと思って、
このアルバムを「編み上げた」のではないだろうか。

いつの日か、誰もが「サンチャイルド」のように召される時が来る。
その日まで、「僕はサンチャイルドの友達」でいられたらいいなと思う。
やり方はまだよく分からないけど。

2011年はたくさんの、数えきれない「サンチャイルド」が生まれた。
どうしようもない悲しみがせり上がってきた。
怒りや嘆きの声もすり潰され続けている。

だけど、元春は個人的な喪失体験を歌の世界で祝福したり、葬ったりしたりしてる。
僕の考察が正しければ、30年前から。

僕たちにもできるはずだ。
僕たちもサンチャイルドの友達になれるはずだ。

(実はこの書き出しは、かつて元春がアルバム「The Circle」の副読本のような形で発行した『Circle of Inocense』で、収録曲「Sweet 16」についてのセルフ・ライナーとして書いた文章の書き出し「バディ・ホリーが好きだ」を真似たもの。)
 
 

比較音興考

まずはこちらをお聴きください。

http://bit.ly/6ZLEg


お聴きになりましたか?
それでは続けざまにこちらもお聴きください。


http://bit.ly/Yfj59


この二つは「同じ楽曲」です。
しかし、お分かりの通り明らかに違う演奏の仕方をされています。

どちらがお気に召したでしょうか。


ちなみに僕は、先にISLEYの方を聴き、WHAM!の方をだいぶ後に聴きました。
しかもお恥ずかしいことに、すっかりISLEYの曲だと思い込んでいたのです。
だから、いまだにWHAM!の方は「Popなアレンジが決まっている」という印象になってしまう。
まったく恥ずかしいことです。

しかし、これが今回のようなポップ・ミュージックの数曲の範囲で収まっていれば、
ただの笑い話で済みます。

さて、これが他の場面でも起こりえるとしたら。
ちょっと考えれば、その可能性は大いにあるどころか、そんなことばかりだということが分かるでしょう。

現在は、このようにある程度の時間差や地域差を越えてフラットに情報が立ち現われてきます。
そのとき、ただなんとなくの好き嫌いだけで物事を決定する羽目になりはしないか。

この二つの演奏のどういう違いからどういう好みの差が生じたのかを考えることも、
そういう不本意な従属を回避するためのちょっとした足しになるかもしれません。
 
 

Radiko Radiko

中学生のころ、夜更かしを覚えた。
まだ、自室にテレビは与えられず、ラジカセが深夜の友達だった。

いまはすっかりご無沙汰なので、ラジオの深夜放送がどうなっているのか分からない。
僕はそのころ「三宅裕司のヤングパラダイス」を聞くのが日課だったけど、
何が面白くて聞いていたのかよく覚えていない。
ただただ、毎晩ときめいていた。

いま思えば、それはテレビから生放送が姿を消していった時期と重なる。
「いま、声が届く」という感触に反応していたのかもしれない。
ヒットチャートもまだいまほど学級新聞化はしていなかったし、
誰もそんなものに意味があるなんて思っていなかった。

ただの統計が、価値に化ける。
最初に狂うのは、いつも真面目で熱心な奴らだ。
そういう連中に、普通の言葉で話しても通じない。
だから別のやり方を探すしかない。

というわけで、こいつを見てくれ。

 
 

ハイムン人のおいしい晩酌

今日は知人宅で留守番しながらハイムンしてました。
勝手にskype入れてごめんなさい。
もう消したので発覚することはないはず。

いやあ、最終日にGoodEndが出てよかったよかった。
知人宅のMacがスペック不足なのか、
マンションの回線が貧弱貧弱ゥ!なのか、
探索作業は他ハイムン人に任せて、
ひたすらskypeコールしてました。
一度だけ繋がったものの、ダイヤルする前に断線。
四球で出塁して併殺されたような感じで、
結果的に何も貢献できなかったけど、
とにかく楽しかった。

会場参加組のルート選択に感謝です。
ありがとうございます。

現在は、知人の帰りが遅くなりそうなので、
散歩がてらクラフトビールのおいしい店で一人打ち上げ中。
ベアードの生ウマい!
ばかやろーエールも樽供給してくれ!

携帯電話からの更新なので、改行の見づらい点や、
言い回しがいつもより雑だったりするかもしれませんが、
ご容赦ください。

さあ二杯目は何にしようかなあ。
 
 

ハイムン人の作業日誌

平沢進のインタラクティブ・ライブ「点呼する惑星」に在宅オーディエンスとして参加しました。
ハイムン人として回線を泳いでいたわけです。

書き出しから何のコトか分からない人のためにざっと説明すると、
インタラクティブ・ライブとは平沢進という小さいおっさんミュージシャンが行っている音楽イベントで、
ライブ演奏と物語を織り交ぜた観客参加型のコンサートのこと。
用意された物語には所々に分岐があり、提示された選択肢を参加者が選ぶことで展開が変化する。
ゲームブックや推理モノのTVゲームで遊んだことのある人なら、どういうものかピンと来るかな。
大雑把に言うと、選択分岐方式のアドベンチャーゲーム要素が入った音楽イベントです。

さらに特徴的なのが「在宅オーディエンス」という参加方法があること。
これはネット回線を通じて自宅などの端末から会場に繋がることができて、
自宅に居ながらにしてリアルタイムに演奏と物語を楽しむことができるのです。

僕は今回が初参加だったのですが、今回の新たな試みとして、googleのストリートビューを使ってキーワードを探り、
skype回線を使って送信するという作業が加わったということで、
オーディエンスというかもはや末端スタッフの一人のような気分になりました。
それぐらい「参加してる」という実感があります。めちゃくちゃ楽しい。
PCの前に座ってただ眺めてるだけじゃPPVと変わらないもんね。
PPVは番組ごとに課金されるけど、今回は無料だったし。

結果は残念ながらバッド・エンドだったけど、まだ明日と明後日が残っている。
明日は参加できないので、明後日は都合がつけばまた参加したいなあ。
 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。