スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 
 

残暑の黒い刺客

メリハリのない残暑が続いたと思ったら、今日はずいぶんと寒かったなあ。
我が家は築30年超の木造家屋なので、外気の影響が強く、
暑い時は一気に蒸しあがるし、寒い時は一気に凍りつく。
だがこれで、今度こそ夏も終わるのだろうか。

夏の置き土産なのかな。
こんなことがあった。
(以下、イヤな予感のする方は任意によって閲覧を中止してください)


スポンサーサイト
 
 

KYこわい

最近よく見聞きする「KY」なる文字及び音声。
アルファベットなので、「Kill Yourself」だと思っていました。

「死を以って償え!」とか「その罪、万死に値する!」なんていう意味をこめて、
デモ隊が非道な為政者を糾弾する時に叫ぶ文句か何かかなあ、
と思っていました。
そこから転じて、気に入らない物事に対するエクスキューズ的な意味合いを、
この二文字に託して飛ばすのではなかろうか、なんて。


 
 

強化(BlogPet)

きょう左脳は、パンクしたよ♪
でも、左脳で強化したかった。

*このエントリは、ブログペットの「よのなか」が書きました。
 
 

左脳(BlogPet)

左脳は、絶望ー!

*このエントリは、ブログペットの「よのなか」が書きました。
 
 

夜を見送る

SAYO-NARA
築地本願寺の本堂は赤紫の夜空を羽織ってたゆたう。
ついこのあいだへ帰って、もう戻って来そうにないらしいあの人の面影に、
今夜さよならを告げる僕たちの心が、まだ内出血をしているせいかもしれない。

いや、あの人のさよならを僕たちが聞きに来たのだったろうか。

こちらこそ、お逢いできて嬉しかったです。
また、いつか。
 
 

左脳内

左脳 脳内
戸籍名 脳内
絶妙にディレイしたこのタイミングで脳内を晒してみる。
我ながら常人離れしたレイドバック加減の社会性に、半ば呆れ、半ば得意。
時代なんてバックミラーの片隅に映っていればいいのさ。

結果を見てみると、僕の頭の中は友達でいっぱい。
おかしいなあ。
友人は少ないんですけどね。
脳内友人でしょうか。


さて、もののついでに戸籍名でもやってみましょうか。

愛と嘘。

二つを分つものは、束の間の休息だけ・・・
なんて書くとなにやらチープなダンディズムを気取っているようだけど、
わずかな安息の時間を確保するために、
一方では愛を振り撒き、一方では嘘で煙に巻くという、
小賢しく姑息に立ち回る様が想起されて含み笑いを含みきれない。


いやあ、思ったよりは楽しめたなあ。

だけど、やっぱり僕の中に僕はいないんだ
 
 

エントリ加速したかも(BlogPet)

きのう、エントリ加速したかもー。
でも、左脳の関心みたいな拒否ー!

*このエントリは、ブログペットの「よのなか」が書きました。
 
 

半機械式無意識日記

高山宏さんという方の講演を聴きに、新宿紀伊国屋に来ております。早めに着いたので店内をうろうろしていると、雑誌「coyote」の表紙に、「シティ・オブ・グラス待望の柴田元幸訳掲載」の見出しが躍っていたので、自動的に清算を済ませる。

coyote

 
 

直面したかった(BlogPet)

左脳と、直面したかった。

*このエントリは、ブログペットの「よのなか」が書きました。
 
 

内なる掌

今年は訃報が多い。
正しく言えば、僕のアンテナに直撃する訃報が多い。
いや、「あのこと」がアンテナのそちらへの指向性を強化しているのかもしれない。
とにかく、物故の話題が目立つ。

振り返ってみれば、ほぼ毎月のペースで個人的に思い入れのある有名人が亡くなっている。
当然のことながら、そういった知らせが耳目に接すれば、
人の心はへこみ、めげるもので、僕も例外ではなく、
その度にへこんだりめげたりする。
にんげんだもの。

しかしながら、人間のいいところは、快復しようとする機能があるところなのだ。
「だもの」なんて言って自分の達観してる感をひけらかし、
持って回った手前味噌な人間的器の大きさ自慢などするまでもない。

少しずつではあるものの、確実に心の握力を快復し、
胸の奥へ滝のように流れ落ちていく哀しみを、
その内なる掌で受け止めようとする意思を持っている。

時にはその濁流の勢いに押され、その身を流されそうになることもあるだろう。
だが時には、澱みの中で光る砂金の如き何かが、
指の端に残ることもあるかもしれない。

だからといってそれを最初から期待するのはよくない。

赤ん坊が空を掴もうとするように、
掌を握ったり開いたりしているのを見たことはないだろうか。
それを心の中でやり直すのだ。

要求せず、絶望せず、あるがままの日々を掴む。
そこに何が残り、そこを何がすり抜けていくのか。
内なる掌の力の加減次第で、形も意味も変わってくるのだろう。

自分にとって一番相応しい「手加減」を探っていくとしよう。
時々、じっと手を見たりしながら。

 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。