スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 
 

出遊

いよいよ明日から修羅に入る。
鬼と遭えば鬼を斬り、仏と遭えば仏を斬る。
そんな日々が始まる。

正直言って、怖い。
もちろん自ら望んでそこへ進もうと決めたわけであって、
楽しみ、というか、心躍るような気分でもあるのだけど、
その中身の苛烈さはいろいろと伝え聞いている。
それを思うとやはり、ふと不安になる時もある。

しかし、始まってしまえば弱音を吐いてもいられない。
嵐の中を生き延びるに、何の足しにもならないだろう。
そんな暇があるなら、歯を食いしばって眠る方がいい。
愚痴を垂れる為に口を開くぐらいなら、コーヒーと紅茶で塞ぎたい。

明日から、時空を越えた様々な「今」が目の前に次々と去来してくることになると思う。
そこで思い切り遊ぶのだ。
「遊」という字は旗を掲げ、捧げものの犠牲を携え、
未知の領域へと向かっていく姿をあらわしているという。
それは古代人が神との交流のために旅立つ様であり、
つまり新たなる世界へと踏み出すことであった。
これを「出遊」といった。

こんなにスリリングなことはない。
魂が震えるというのはこういう感覚か。


遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ


いざ、出遊。
スポンサーサイト
 
 

プリンタ

プリンタが故障中である。
修理すべきか、それとも買い換えた方がいいか迷っていたのだが、
修理に出すのも面倒だし、費用も1,000円やそこらでは済むまい。
今週末からかなり酷使することになるはずなので、ここは買い換えた方が得策であろう。

とはいえ、それこそ費用の面が問題となってくる。
先日も机の送料でIKEAに貢いだばかりだ。
ここは慎重を期さねばなるまい。

もとより贅沢を言うつもりはないので、一般的な機能があればいい。

というわけで、お買い得なプリンタの情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、
お教えいただけるとありがたいです。
よろしくお願いします。
 
 

春浅し

連続更新を続けてきたが、ついに穴が開いてしまった。
昨日はさすがに前日(日曜日)の疲れが出たらしく、
ちょっとしたうたたねから、いつの間にか眠りの淵の奥へと沈んでしまたようだ。
「春眠暁を覚えず」というにはまだ少し早く、寝坊はしなくて済んだけど。

今ごろの春らしさが片鱗を見せながらも、まだ少し肌寒いような季節のことを、
「春浅し」と言うんだそうだ。
これも『ことばの博物誌』から引用させてもらっている。
季節の微妙な移ろいを捉えた、瑞々しい感覚の存在を感じさせる言葉だと思う。
いつ頃の時代に生まれた言葉なのかは分からないけど、
人が言葉を通じて自然と交感しているさまが思われ、清々しい気分になる。
言葉が本来的に持っている、メディアとしての力を僕に思い知らせてくれる。

もっとこういう言葉たちを拾い集め、見失われた言霊を取り戻していきたい。
時空に散在する言霊のハイパーリンク。
その森に、その海に、その谷に。
分け入って、漕ぎ出して、踏み込んで。




 
 

左脳と視点も動作したの(BlogPet)

左脳と、お互いは受信するつもりだった?
だけど、左脳と視点も動作したの?
でも、串刺しみたいなぶつ切りしたの?

*このエントリは、ブログペットの「よのなか」が書きました。
 
 

高校入試~国語篇

高校入試問題をやってみた。
特にこれといった動機はない。
新聞に問題と解答が載っているのを見て、なんとなく思いついただけのことだ。

とりあえず一番最初に載っている国語の問題を解く。
漢字の読み下しや書き取り。
懐かしい感覚だ。

そして文章問題。
ここで手が止まる。
「傍線○の説明として最も適するものを次の中から選び」という選択問題。
これがどうも苦手だ。
いや、嫌いなのだ。

選択肢のなかには、明らかに無理矢理作ったような意味のものが入っている。
馬鹿にしているのだろうか。
それとも馬鹿なのだろうか。
馬鹿が人を馬鹿にしようとしているから馬鹿みたいなことをするのだろうか。

いかん。
問題文を読む前からちょっと頭に血が上ってしまっている。
落ち着かなければ。

お生憎さま。
何を隠そうこちらもそこそこ馬鹿なのだ。
それが証拠に何を血迷ったかいいおっさんが高校入試をやってみようだって。
このムシケラが。
カメムシが。
ヒメコエンマコガネが。
オジロアシナガゾウムシが。
そんな馬鹿をいまさら馬鹿にしてみようだなんて、それこそ馬鹿馬鹿しいというものですよ。
ふふん。

どうにか気を取り直して、用紙に目を戻す。
だが、取り戻した平静さも、すぐに掻き乱されてしまった。

問題文として採用されているものの中に、とてつもない悪文があるのだ。
主人公の一人称で書かれているのだが、どうも電話越しに相手の仕草が見えている、
としか読めない部分がある。

我が目を疑った。
これを試験問題に使うとはいったいどういう見識なのか。

冒頭の説明文でもそういった設定は明らかにされていないし、
その後、その部分を指摘するような設問もない。
ということは、高校入試を受ける中学生にとって、電話越しに相手の仕草が見える、
という能力は自然なものだということなのだろうか。

なるほど、今や小学生でも携帯電話を持ち歩くことが珍しくない時代だ。
そのような環境で育てば、電話越しに相手の仕草が見えるようになるのかもしれない。
いやあ、思いがけずジェネレーション・ギャップを感じてしまったなあ。
あはは。

そんなわけあるか!


この部分が気になって、あとの問題は頭に入らなかった。

結果、50点満点で42点。
当時の僕の方が、今の僕よりちょっとだけ試験は得意だったみたいだ。
 
 

月下の一群

昨夜の満月は綺麗だった。
象牙でできたシャボン玉のようだった。

「シャボン玉」といえば、以前どこかで覚えたコクトーのを思い出す。

シャボン玉の中へは
庭は這入れません 
まはりをくるくる廻ってゐます


堀口大學の『月下の一群』からの引用だ。
フランス近代の作品を集めたもので、コクトーの作もいくつか収録されている。
少し前に入手したのだが、ぜひ満月の下で読みはじめたいと思い、
昨日まで我慢して取っておいた。

稲垣足穂の『一千一秒物語』も捨てがたいが、既に一読済みだ。
それに、あれはむしろ月の見えない晩にこそ読みたくなる。
それぐらい、あの本の中には月のエッセンスが詰まっている。
それでいてモダンな軽さがある。
カーテンを半開きにした窓辺でドライフルーツを齧りながら、
ミントリキュールをたらした紅茶でもすすりつつ読むのがいいかもしれない。

『月下の一群』は、ことばたちが、匂いたつ真夜中の花の野辺の如くに広がっている本だ。
これは踏み込んで、分け入って、渦巻く香りで体を飽和させてついに昏倒するまで、
読み耽るのがいいかもしれない。
さらに、小高い丘の上から風にそよぐ花畑を眺めるように読み、
また小川に浮かべた小船から身を乗り出して岸辺の一輪を摘み取るように読むのもいい。

ともかく思うさま、ことばに酔うことができよう。
うーん。
素晴らしい。

今夜も僕は、月に向かっての万華鏡を覗く。



 
 

今夜は満月

今夜は満だ。
楽しみにしていたのだが、ずいぶんと雲が濃い。
いまのところ、雲間に覗く姿がほんの少し見えるだけだ。
山吹色のが、ややくすんだ藍色の薄衣を翻して舞っているかのようで、
これはこれで幽玄な妙味があっていい。

しかし、せっかくのフルムーンなのだから、やはりその艶なる肌をこの眼で拝みたい。
かといって、雲が全て引き払ってしまっては風情がなくなる。
漂う雲の間を、出でつ隠れつ、夜空を踊りながら渡っていくのがいい。

それに、あの夜の真珠をあまり見つめつづけていると、誰しもいくぶん頭がおかしくなるだろう。
思い余ったように見上げ、思い切って見切る。
これを満を観ずる時の心掛けとしておきたい。
それでも、思い掛けず魅入られることもあるだろうけど。

さて、御託はこのくらいにして、お様の舞台を楽しみましょう。
幕はもう上がっている。
 
 

バッテリー

先日、出先で携帯電話のバッテリーが切れた。
充電器も持ち歩いていなかったので、小型の急速充電器を買った。
これを使うのは初めてだ。
その場でバッテリーを充電できて、すぐに使用できるようになった。
便利なものだ。
結局、発信にせよ、受信にせよ、重要な連絡があったわけでもないのだけど。
だが、それによって「何事もない」という事実が確認できるというのも、
今や携帯電話のもつ逆説的な役割の一つなのだろう。

しかしそれ以来、やけにバッテリーの持続時間が短くなっているような気がする。
以前のざっと3分の2程度しかもたない。
やはり急速充電器の使用で負担が掛かったせいだろうか。
いま使っているモノは一年前に買ったものだから、寿命が来たということもあるまいし。

ただ、待機性という役割が大きくなってきている以上、
バッテリーの持続力はそのまま一つの機能とも言える。
腕時計の発電機構のようなものは実現できないものだろうか。
 
 

無常は常なり

「今月は更新を意識していく」と宣言したものの、そろそろ息切れしてきた感がある。
だからといって諦めるつもりはないので、何か探して書いてみよう。

と書いている時点で、日付が変わるまであと20分ほど。
あまり時間はない。

僕は毎日、金田一春彦氏の『ことばの博物誌』を読むようにしている。
一日一題、閏年も考慮して366日分のことばと季節や時節の関係にまつわる、
短いエッセイが連なっている。

モノとしては古いのだけど、それがかえって印象的だったりするのが面白い。
今日、2月19日は蓄音機の話だった。
手でハンドルを回す、旧来の蓄音機が次第に姿を消していき、電気式蓄音機が普及し、
それらがさらに「プレーヤー」と言い換えられていくことに無常を感じている。

そういえば先日、僕も似たようなことを書いたなあ。
 
 

イカ焼き

「イカ焼き」というものを食べた。

名前から察するに、関東の人間である僕は、縁日の屋台で売っているような、
イカを丸ごと串刺しにして、炙り焼きにして食べるものを想像したが、そうではないらしい。

小麦粉の薄い生地の中に、イカのぶつ切りやネギなどを入れて焼き上げ、
甘辛いソースをベッタベタにつけて食べるという、なかなかプリミティブな食品で、
関西では日常的に食べられているものだそうだ。

食してみると、感想を述べづらい。
関西人である連れの希望で入った店だが、その連れによると「イカ焼きらしくない」という。
本来は、路上でかぶりつけるぐらいの、小気味よいジャンク感がもっと溢れているべきらしい。

そんな話を聞くと、本物を食べたくなってくるじゃないか。
連れも納得いかないという様子だったし。
というわけで、イカ焼きを食べられるところがあったら教えてください。
 
 

左脳(BlogPet)

よのなかが左脳と企画展へ弛緩した?

*このエントリは、ブログペットの「よのなか」が書きました。
 
 

いけない☆イケア

先日の日記に机を探していると書いたけど、その一環としてイケアに行ってみた。
スウェーデンが基準になっているからなのか、置いてある家具のサイズがでかい。
子供部屋をコンセプトに展示してあるものでも、大人でも充分使える大きさだったり。
机も、天板にマットレスを敷けば仮眠用ベッドにもなりそうなのがゴロゴロしてる。
そんなものばっかり見てると、徐々に目が錯覚し始めて、それが標準なんだと、
これが普通なんだと思い込みそうになる。
そこを冷静さを保ちながら、ひたすらサイズをチェック。
見た目には頼らない。
こういう時に数字は便利だと思う。

結果、天板一枚と脚四本で3100円という、嘘みたいなモノを見つけた。
見つけたといっても、ドーンと展示されてて値段もバーンと張り出してあるんだけど。
サイズ的にもちょうどいい感じ、ほぼ即決。

目当てのものが解決して、やっと余裕が出てきたのか、他の雑多なものを見て回る。
照明なんかも安い。
全てのものの価格が明示されていて、どれも安いので、なんだか安い方がいいものに見えてくる、
という第二の錯覚を起こし始める。
こういう時に数字は怖いと思う。

さて、会計を済ませて、じゃあ配送の手続きをして帰りましょう、となった時。
予想外の事態。
自分で梱包しなければならない、というのはまあ分かる。
しかし、同一県内で送料が6900円も掛かるというのはどういうわけか。
納得できない。
とはいえ、この荷物を車なしで持ち帰るのは不可能だ。

しぶしぶ、本体の倍以上の値段を払って宅配の手続きは完了。
なるほど、これならモノを安くできるわけだ。
ちくしょうめ、もう二度と騙されないぞ。

帰り際に食べたアイスクリームの甘さがわからなくなるぐらいの、
しょっぱい気持ちが一番のお買い物でした。
この教訓、プライスレス。

みなさん。
IKEAでお買い物の際は、必ずお車で!
 
 

なんだこれは!

両掌に浅からぬ傷を負い、日常生活の折々でいろいろと不便なことが多い。
こうしてキーボードを叩くのも普段とは勝手が違う、というのは昨日も書いたとおり。
他にも、何か棒状のものを握る時は、傷に当たらぬように接触面を考慮すると、
上手く力が入らずに軽いものでも予想外に重みがかかってきたり、
箸を持つ際も傷を意識すると妙に手が引きつって、箸を持つ手以外の部分までそれに釣られて、
なんだか動作がぎこちなくなってしまう。

筆記具の類もよく取り落とす。
ただでさえ僕の書く文字は印象派絵画のような輪郭を特徴としているので、
今ではついにシュルレアリスムが芽生えようとしているかのようになっている。

しかし、なんといっても不便なのは水周り。
ちょっと手を洗う時でも神経を使うような状態で、やはりいちばん困るのが入浴時だ。
体を洗う時に使うブラシもあまり力を入れて持てないので、
シャワーが手に掛からないように気を使いながら、ブラシを体に押し付け、
なかばブラシで体をこすり、なかばブラシに体を擦りつける、という事になるので、
なかなか疲れるし、ふと我に返ると悲しくなってくる。
傷を庇おうとしていると、期せずして不自然な体勢になることも多く、
足を洗っている時には、手と足が同時につりそうになった。
あまり手を大きく動かせないため、皮膚全体を狭い範囲に区分して、
区画ごとに洗うようにするので、そのぶん時間もかかる。

そのように苦労して、湯船に浸かるとようやく安息が訪れる。

のだが。

当然ながら、傷のある両掌を湯船につけるというわけにはいかない。
すると必然、手首から先は湯面の上に出しておかなければならないということになる。

想像してみて欲しい。
この条件で湯船に浸かると、人はどういう格好になるか。

はたして、湯気の中から現れた岡本太郎のような格好になるのであった。

おもわず「なんだこれは!」と口をついた言葉が、
浴室特有のリバーブ感を得て、傷口をくすぐった。
 
 

机探し

多少は慣れてきたものの、やはり掌を庇いながらだとタイプの速度が落ちる。
普段でさえ早い方ではないので、確実に人並み以下の状態だろう。
それでも怪我のないときは、タイプの手が遅いなりにも走っていれば、
出てくる言葉の量もそれなりに多く、語彙もそこそこスムーズに選別できていたように思う。
言語活動というのはやはりフィジカルなものなのだなあ、としみじみ実感中。
そして、できることよりも、できないことについて考える事のほうが刺激的で、
何かを得るよりも、奪われたり制約されたりした状態の方が、
思考のピントは鮮明になり、文脈のトラックがもつ輪郭を把握しやすいとも。

ここで言う「できないこと」というのはつまり「したいこと」だから、
それについて考えれば頭脳がはしゃぎ始めるのは、当然といえば当然か。

ともかく、出力の量やその際の状態、使う方法によって、「その後の入力と加工」が変化するし、
それにはなにか不足を発見するとギアが入りやすいようだ。


話は変わって、というかようやく本題。
机が欲しい。
文脈を縫合するならば、いま使っている机の上が手狭で、作業に不便を生じているという「制約」があり、
隣にもう一台の机を用意するという「したいこと」に思考のピントが収斂していく、
という言語活動が脳内で行われていて、その結果として「机が欲しい」という目的について、
考えたり話したりすることを常態的に意識するに至り、いまここにそう書いている、
ということになるだろう。
全く不十分な気もするけど。

そんなわけで、机を探しています。
だいたい、[幅100~110×奥行50~60×高さ70]くらいの寸法で、
10,000円前後のお買い得品はないものでしょうか。
情報があったらゼヒ教えていただきたいと思います。

まあその前にもう少し部屋を片付けろって話ですが、
机が見つかれば勢いがついて、苦手なお片付けもギアが入ることでしょう。

ということで、お心当たりの方はよろしくお願いします。
 
 

ポリス東京ドーム公演

指が無事だったとはいえ、さすがにキーボードを打ちづらい。
なので簡単に。

昨日(13日)にポリスのライブを観に東京ドームへ行ってきた。
特に熱心なファンというわけでもないけど、
チケットが手に入ったという話を聞いたので混ぜてもらった。
「コステロ好きがポリスを観に行っていいのだろうか」という若干の後ろめたさを抱えつつ。

客層は幅広く、20代から50代くらいまで。
男女比はだいたい半々程度。
この年代のミュージシャンのオーディエンスとしては、
若い女性がこれだけ多いのって珍しいんじゃないだろうか。
スティングのファンがスライドしているのかな。

感想としては、「不均衡の調和」という感じ。

まあ調和というのは異質なもの同士を組み合わせるからこそ、
それらが個別に持つ重心同士の結節点や対角線上に、共振や共鳴が産まれて、
そこに新たな中心や核が生まれるというものなのだと思うので、
それ自体は特別なことではないのだろうけど。

しかしポリスの場合は三人がそれぞれに持つ音の重力場というか、
お互いの立脚点の距離の遠さがとても目立つように、僕には思えた。
その遠い距離をそれぞれの音で繋ぐ時、三人の間には緊張と弛緩が絶えず繰り返し、
その角度を常に変えつづける、三角形の海が生まれる。
スティングの歌声はその海に巻く風として聴く者のもとに届き、
そしてすぐに波の音に溶けて消えていく。

そんな印象だった。
怪我のせいで手を叩けなかったのが残念だけど、満足。

 
 

負傷

200802130146000.jpg
200802130146001.jpg


あいたた。
明治通りで転んだ。
交通量が少なかったので、信号機のないところを渡ろうとしたら、
中央分離帯につまづいてしまった。

そのとき路面に手をついたので、この有様。
画像では分かりづらいけど、ちょっと深い。
指が無事だったのは不幸中の幸いだった。
膝にもアザができたけど、そっちはたいした傷ではないし。

しかし轢かれなくて良かったなあ・・・
 
 

浅草たそがれコズミックリバー

リアルエールフェスティバルの会場から出ると、目の前は隅田川。
吾妻橋の脇に水上バスの船着場がある。
すっかり日も傾き、すみれ色の風が吹き始めたころ。

橋をくぐって現れたのがこの船。
宇宙船のようだ。
カッコ良し。
200802121648000.jpg

200802101715000.jpg

200802101717000.jpg


夕闇迫る川面が、銀河に繋がる支流のように見えた。
 
 

青いてんとう虫

見たことのない路地。
薄暗い、夕闇と夜の間。
少女が地面に何か描いている。
手には青い色鉛筆。
路上にはてんとう虫が、その青い輪郭が光っている。
少女の顔は見えない。
髪はおかっぱ風。
ひたすら淡々と、てんとう虫を描きつづけている。
大きさもそれぞれに、壁や電柱や扉にも。

自分はそれをずっと見ているが、視点が定まらない。
極端にズームしたり、俯瞰したり、次々に生まれる青いてんとう虫を追いかけて、
転移から転移を繰り返していく。

青い・・・「天道虫」・・・?
ああ、そうか。
月のことか。

という夢を見ました。
 
 

クオリア追加 (BlogPet)

左脳の「 クオリア追加 」のまねしてかいてみるね

ひと月ほど前で、立体造形物からアニメーションまで、キュレーターの方だもので、バラエティに富んだ。
時間が、なんと茂木さんを目撃したので、なんと茂木さんのせいで、シャキシャキと思う。
後で興奮気味に行った講演のクオリアにウロウロしたの凝らないけど。
ベーコンのだもので興奮気味に「GOTH展」という展示を目撃しただけかもしれないけど。
そこで偶然、なんと茂木さんを辿ってあった♪
時間が書いていたカンディンスキーの打ち合わせらしく、いま記憶になるが印象に入り込めなかったの前の打ち合わせらしく、やはりその日のことが書いているので内容についてはそこで見に即したのが追加された。
展示になるが経っていたの前のは常設展に「体験」つまり「ドクターモギ」が書いてみたら、シャキシャキと思う。
後で開催中のが書いていたので、横浜美術館ではそこではないけど。
時間が書いている!!
ベーコンのせいばかりで見に話していたのことが印象になるが印象に行ったよりも小柄で、人違いで茂木さんを目撃してみたら、人違いで茂木健一郎さんのが経ってあったよりも小柄で開催中のクオリアになるが、対象に入り込めなかっただけかもしれない企画展のせいでは常設展に入り込めなかったので、やはりその日のせいで茂木健一郎さんのが書いてあっただけかもしれない企画展に話していたよりも小柄で興奮気味に即した。
しかし、横浜美術館で開催中の女性と思う。

*このエントリは、ブログペットの「よのなか」が書きました。
 
 

東京リアルエールフェスティバル

浅草のアレ
第6回東京リアルエールフェスティバル
リアルエールフェスティバルお土産


東京リアルエールフェスティバルに行ってきた。
リアルエールというのは簡単に言うと、伝統的な材料と醸造法で醸造、樽詰し、
樽内での二次発酵を経て、樽から直接グラスに注いで飲むビールのこと。

このフェスティバルは、日本国内でリアルエールを醸造しているブルワリーが集まって、
それぞれ自信作の樽を会場に持ち込み、飲み比べて楽しもうという、
それはそれは意義も意味もある、文化的で教養の薫り高いイベントなのだ。

会場は浅草、すみだリバーサイドホール。
黄金のアレで有名なアサヒビールのすぐ近くだ。

ちょっと本調子ではなかったために出遅れ、13:00開場のところを1時間ほど過ぎてから到着。
連休の中日ということもあり、場内は既に大騒ぎになっているのではないかと思っていたら、
予想に反して極めて和やかなムード。
ちょっと規模の大きいホームパーティのような感じだった。

しかし1時間のハンディは大きく、何から飲もうかと選んでいるうちに次々と樽が空いていく。
雰囲気は和やかでも、やはり皆さんガンガン飲んでいる。

並んでいるビールもリアルエールばかりなので、どれも美味しくて困る。
味わって飲んでいるとすぐに時間が経ってしまうのだ。
結局、狙っていた銘柄にはほとんどありつけなかったのだけれど、
それでも、どれも充分な飲み応えのあるもので満足して会場を出ることができた。

僕は今回はじめて足を運んだのだが、この催しも今年でもう第6回を数えるという。
思ったより規模は小さかったけど、扱うモノのことを考えるとこれぐらいがちょうどいいのかもしれない。
今後は季節ごとにやってくれたりすると嬉しいんだけどなあ。
 
 

クオリア追加

ひと月ほど前のことになるが、横浜美術館で開催中の「GOTH展」という展示を見に行った。
時間が経っているので内容についてはだいぶ忘れているが、
立体造形物からアニメーションまで、バラエティに富んだもので、
あまり肩の凝らない企画展になっていた。
ただ単にこちらの教養不足のせいで、対象に入り込めなかっただけかもしれないけど。

しかし、いま記憶に残っているのは常設展の方だ。
理由はそこで見たカンディンスキーのせいばかりではない。

そこで偶然、なんと茂木健一郎さんを目撃したのだ。
展示に即した講演の打ち合わせらしく、
キュレーターの女性と一緒にウロウロしていた。
ベーコンの絵の前で興奮気味に話していたのが印象に残っている。
思ったよりも小柄で、シャキシャキと歩く人だった。

後で茂木さんのブログのログを辿ってみたら、
やはりその日のことが書いてあったので、人違いではないと思う。

2008年最初の「アハ体験」つまり「アハ初め」ということか。
桜木町のクオリアに「ドクターモギ」が追加された。
 
 

玩意の村よ

昨日は「ヴィレッジヴァンガードへ行った」と書いておきながら、
店での買い物のことに一切触れていないことに気がついた。
なので少し補足してみます。

最終的にはフロアの売り場面積の約半分を占めていた。
開店当初はその2/3程度の広さだったと思う。
壁際の店舗はしばらくして隣接する空きスペースに拡張し、
カメラや建築系の写真集、家具などを置くようになり、
壁に沿ってL字型の店になった。

僕が訪ねた際には、すでに面積は半分ほどに縮小されていた。
おそらく家具類や大型の商品など、高価な物は他の店舗に移したのかもしれない。
まさに家具、カメラ、写真集が目当てだった僕は、
それらの物がほとんど消えている事を知ると消費意欲が萎えてしまい、
ビールのガイドブックを一冊だけ買うに留めた。
拍子抜けした、というのが正直な感想だった。

が、しかし。

思えば何か明確な目当ての物があってこの店に行ったことなど、
はたして一度でもあっただろうか。
そう、ここは「買い物をしに来る店」ではなくて、
「買いたくなる何かがあるかもしれない店」だったのだ。
あてもなく、目的を定めず、「何か」とのすれ違いを期待して、
ぼんやりとモノたちとの交信をしに来る場所だったのだ。
いわば「逆アンテナショップ」のような、電波の入り江となって、
妄想と情念と物欲が珊瑚礁のように結晶化する「場」になっていたのだ。

そう考えると、やはりこの店が近場からなくなるというのは惜しい。
あらためて残念に思う。

そこはいつだって玩意が渦巻くキッチュで壁の薄い蔵の中で、
そこでは誰しも宛先が空欄の荷札を自分に貼り付けようとしている。
自己消失のトランジット。
自分を玩具にする為に、飾り付けが足りないんだ。
 
 

時分の影

先日、久しぶりに隣町まで買い物へ行ってきた。
ちょくちょく足を運んでいたヴィレッジヴァンガードが閉店すると聞いたためだ。
テナントが入っているのはファッションビルのパルコなのだが、
そこが2月いっぱいで丸ごと閉店するのだという。

平日だったからか、拍子抜けするほど人が少ない。
それもそのはず、僕が知らなかっただけで、
年明け早々から閉店に向けたセールをずっと行っていたらしい。
どのテナントを覗いても棚の空白が目立つ。
めぼしい物はあらかた刈り取られた後ということなのだろう。

車に乗り始めた頃の僕にとって、道順も簡単で、
地元よりはいくらか拓けているこの街は定番の買い物コースだった。
古着のシルクシャツを漁ったり、米軍払い下げのコートを物色したり、
昼飯を食わずにあちこちウロウロしていたものだが、
それらの店も今ではもう残っていない。

これでパルコがなくなれば、僕の記憶に刻まれたあの街の姿は、
地上からほぼ完全に姿を消すことになる。
感傷に浸るつもりはないが、そう思うとなにやら胸に去来するものがあるのは確かだ。
年々、我が家からあの街への道は交差点の整備や道幅の拡張などで快適になり、
アクセスは向上しているが、その先にあるのは今や別の場所になりつつある。
街は近づきながら、遠ざかっている。

追憶のトポス。彷徨のアドレス。
記憶という意識が、時間と空間のミラーハウスの中で行き先を見失うとき、
僕はやっと足元の影がどんな姿をしているかを見る。
その影がどんなに自分に似ていないかを。
 
 

左脳再武装

あけましておめでとうございます!

と、2008年も既に1ヶ月を過ぎたところで言ってみる。
それも一つの勇気の形であると、僕は信じてなどいない。

皆さん、お久しぶり。
どうですか、2008年は。
まあ誰が読んでるかさっぱり特定できていないんですけどね。

僕は年が明けてから、ちょっと集中するべきことがあり、
そのために1月中は頭脳とヘソの奥を忙しくしていたのですが、
お陰でなかなかいいスタートダッシュができたと思います。

3月からはまた頭脳とヘソ以外にも忙しくなる予定、
というか全身全霊を傾けるべきあるカリキュラムに取り組むので、
2月中はその前に美味しいビールを飲みまくると共に、
この勢いを消さないように助走に務める腹づもりです。
そして、今月はちょっと更新を意識して日々を過ごしてみようかとも思っています。

何故わざわざそんなことをするかというと簡単な話で、
二つの理由があってのことです。

まず一つは単に遅筆を克服したいという理由から。

日記なんかだと締め切りや宛先などの縛りがないので、
いつまでも細部を書き直したり、順序の組換えをしたりして、
何日経っても書けない、いや書き終えようとしないという悪い癖を、
なんとか克服したいという目的があっての事なのです。

もう一つは単に1月中は一度も更新していないので、バランスを取るため。

今月もほったらかしにしたら、きっと再開するのが面倒になって、
このまま放置してしまうんじゃないかと思うんですね。
3月は更新する余裕はないと思ったほうがいいので。

なので、誰にも見せずにノートに書いて伏せておけばいいような事や、
ゆるゆる過ぎて読み終えた瞬間に一切の内容が記憶から消え去っているような、
空疎極まりない文章なども増えるかと思いますので、
慣れないことをして勝手にもがいている僕の姿を見たい人は要注目。

ということで、今年もよろしく。
 
 

変化(BlogPet)

きのうは変化するはずだったの。
だけど、よのなかが深呼吸は渋滞しないです。

*このエントリは、ブログペットの「よのなか」が書きました。
 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。