スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 
 

思索したかも(BlogPet)

左脳は、思索したかも。

*このエントリは、ブログペットの「よのなか」が書きました。
スポンサーサイト
 
 

身辺雑記

たまには思いつくままに書いてみよう。
とはいえ、いつも思いつきで書いているのはたいして変わらないけど、
普段はある程度のテーマに沿って書き進めるようにしている。
今日はそれすらかったるい感じなので、小見出しをつけて書きっ放しにする。
たまにはいいでしょ。


■爪が割れる

足の小指の爪が割れてどうにも所在無い。
「足の爪はあまり切らない方がいい」という話を聞いたので、
この1週間ほどは切らずにヤスリで整える程度にしているのだけど、
小指の爪だけは少し伸びると外側が4分の1ほど割れてしまう。
靴下を履くときなどは気をつけないと引っかかって痛い。
絆創膏でも貼っておいたほうがいいのかな。


■1週間は早い
三沢さんのことがあってからもう1週間たつのかと思うと、
少しだけ事実を受け入れ始めていたはずなのに、あらためて呆然とする。
去年、祖母を亡くし、初めて肉親との死別を体験したが、
その時はもっと素直に受け入れることができた。
年齢的なこともあるし、その衰えも目にしていたからなのだろう。
直接に弔うことで、「おくる」ことができたからかもしれない。
我々1ファンとしては三沢さんをどう「おくる」ことができるんだろうか。
業界が「悲しみを乗り越える」と称してナアナアの現状維持で済ませたり、
興行日程のイニシアチブの次元でモタモタするようなら、
今度こそ決定的にファンが離れて行くことになると思う。
「スポーツ」と「興行」を安易に二分して済ませたがる行政も考え直して欲しい。
ただ、それにはプロレスという表現形態を毅然とした言葉で説明できる人間が必要だ。


■ハンバーガーのあるべき姿
ハンバーガーといえばマクドナルド。
各店舗の従業員の命を削ってでも無理やり価格を下げて利益を確保しようとするという、
資本主義の純粋な体現者としてお馴染みですね。
熱心な企業努力の結果、商品コストも削りまくるので、当然ですが信じがたいほど不味い。
おかげさまで「ハンバーガー=安くて不味い」という理解が一般常識になってしまいました。

いやいや、しかしちょっと待て、ハンバーガーそのものに罪はない。
美味しいハンバーガーを作っている店はあるのです。
池袋のEAST VILLEGEという店です。
先日見つけたばかりですが、今後しばらく試してみたい。
この日食べたのは「アボカドワカモレバーガー」という一品。
スタンダードなハンバーガーにアボカドディップが入っている。
レタスもケチらないし、パティもつなぎを使わずに重厚な仕上がり。
バンズは少し軟らかめなんですが、画像を見ていただければ分かるとおり、
あまり硬いとおそらく噛り付けないので、それを配慮してのことでしょう。
とても美味しくいただきました。
「ハンバーガー」という名詞がそのまま流通するには、
こういう店が「普通」であるという状況にならないといけない。
道は険しいなあ。


■DVD
DVDレコーダーが故障した。
以前からDVDの読み込みができたりできなかったりと不安定だったのだけど、
いよいよ読み込みができなくなってきた。
レンズクリーナーを試してみたものの、一向に改善されない。
挙句にはレンズクリーナーすら読み込みできなくなってきた。
マクガイバーのBOXセットも観れないし、ハードディスクに録ったTV番組をDVDに移すこともできない。
買い換えるなら、ブルーレイも視野に入れるべきかどうか。
うーん。


■父の日
父の日に本を贈ることにした。
『昭和天皇 畏るべき無私』『東京セブンローズ上・下』『日本アホバカ分布考』『今こそアレントを読み直す』
の4冊(上下巻を別計算すれば5冊)にした。
そもそも父との会話らしい会話がないので、読書傾向も趣味も好みもろくに分からない。
なので、ソナーとしての選本であり、「ことば」についての思索をを誘う選本であり、
「今の日本」を考えるための足がかりとしての選本でもある。
なかでも「ことば」について考えて欲しい。
あまりにも自分の使う言葉に対して無責任すぎる。
文脈を共有しながら言葉を使おうという態度がほとんどみられない。
せめて自分が天皇ではないことだけでも分かって欲しいものだ。
そういうつもりで選んだのだけど、おそらくそれは伝わっていないだろう。


■親知らず
最近どうも親知らずがでしゃばってきているような気がする。
歯磨きをすると、奥歯のほうで出血することが多くなった。
そういえば以前に歯医者にかかった時、親知らずの事を言っていた。
詳しいことは忘れたけど、その時は放置しても影響はないといっていたような気がする。
ただそれも数年前のことなので、ひょっとすると、それはその当時に限った話であって、
しばらく放って置いた間にウギウギと望ましくない成長を遂げていたのかもしれない。
歯医者行ったほうがいいのかなあ。
でもやだなあ、怖いなあ。


■鞄が欲しい
頻繁ではないけどスーツを着ることがあるので、その時に持つ鞄がない。
10年以上使っている緑色のショルダーバッグはそろそろ限界だし、何よりスーツ姿に馴染まない。
そこで新しい鞄を買おうと情報収集を始めようと、いわゆるモノ系雑誌を手にとって見た。
モノマガジンとかグッズプレスとか、そういうやつですね。
それらを幾つかパラパラめくってみると、載ってるのは5万円代がザラだった。
他にも30万円の時計とか、10万円の靴とか、ずいぶん価格帯が高い。
本当に不況なのか?
誰向けに紹介してるんだこれは。
コンビニで売ってる雑誌だぞ。
全く参考にならない。
買い物の情報誌というよりも使い捨ての図鑑のようだった。
ネットオークションでも覗くのが賢明かな。


この辺にしておこうか。
うん、なんかちょっとスッキリしたような気がする。
 
 

調理(BlogPet)

よのなかは左脳は調理したの?

*このエントリは、ブログペットの「よのなか」が書きました。
 
 

雷がエメラルド

今夜、関東地方は強い雷雨だ。
それもそのはず、空の上には新しいファイターが参入したばかり。

馬場、鶴田、橋本、冬木・・・彼らも歯ごたえのある相手に腕が鳴ることだろう。

○○番勝負は全日本系の伝統だ。
今ごろは先に逝った名レスラーたちとの連戦で揉まれているに違いない。

エメラルド色の閃光が夜空を染めている。
そのたびにエルボーを、タイガードライバーを、エメラルドフロウジョンを、
雲のマットの上で繰り出しているのだろう。

三沢さん。
お疲れ様でした。
 
 

【訃報】三沢光晴

みなさんニュースなどでご存じでしょうが、プロレスラーの三沢光晴選手が、
6月12日広島での興行の際、試合中のダメージが原因で亡くなりました。

最近はあまり熱心なファンではなくなっていた僕ですが、
プロレスのことを考える時に真っ先に思い浮かべるのはノアであり、
三沢選手を中心とした超世代軍周辺の選手たちです。

このニュースに触れてから2日と少し経ちますが、まだ動揺しています。
次々と報じられる続報にもあまり現実感を感じません。

もう少し後で振り返ろうと思います。

ニュースにリンクする気が起きない。
 
 

コメントしなかった(BlogPet)

左脳は、コメントしなかった。

*このエントリは、ブログペットの「よのなか」が書きました。
 
 

未知を食べる

先日の日記で「手づかみでモノを食べること」についてくだくだと書きました。
長いんで、興味のある人はあとで読んでみてください。
その中で、ナイフ、フォークと箸の違いについてチラッと触れたまま、力量不足で宿題にしたままになっていた。
そこにちょっと手をつけてみようと思います。

コメントの返信で、考えていることについて大まかに書いておいたのだけど、この両者の違いは、
西洋と東洋の「考えかた」の違いに起因するのだと思っています。
何故そう思うのかというと、この両者の道具としてのあり方を考えると、その違いが明らかだからです。
どう違うのかというと、ナイフ、フォークの場合、食べるモノに合わせて、大きさや形状の違うものを、
あれこれと持ち替えて組み合わせながら使います。
スープを飲むスプーンと豆類などを食べるスプーンは別のものを使うし、
肉を刺すフォークと麺類などを食べるフォークは反りが違ったりします。
ちょっといいトコのレストランなどだと、席に着いた客の両側にずらりとそれらが並びますね。
(アレは外側から使うんでしたっけ?)
これは、対象物に対する対処の方法を、外側に随時構築していくというやり方です。
対象物を細かく分類して、それらと一対一で対応するように対処法を用意していくんですね。

それに比して箸の場合は、道具を持ち替えるのではなく、手のほうを使い分けます。
といっても、食卓にたくさんの手を並べるわけではなくて、食べるモノに合わせて、
持ち方を変えたり、動かし方を変えたりして、何を食べるにしても二本の棒で対処するんですね。
汁物の類はそのための道具を用意せず、椀に直接口をつけて飲みます。
これは、対処の方法を、内側から導き出すというやり方です。
対象物の分類をやわらかくして、自分の動かし方を変化させていくわけです。

このように考えていくと、「食べ方の違いは考え方に起因する」のではなくて、
むしろ「食べ方の違いが考え方の違いを生んできた」のではないか、と思えてきます。
土地土地で手に入る食べ物は違うので、知らない食べ物に接するたびに、
「それをどう食べるか」を我々の先祖は考えていたのではないでしょうか。
そして食べ方を開発し、その食べ物を「考えごと食べてきた」のではないかと思うのです。
つまり我々は、未知を食べ続けてきた種族なのだと。

さあ、今回はこの辺が潮時のような気がします。
引き続き考えていくので、また何かネタに行き当たったら書いてみようかな。
 
 

体が食べる単位(BlogPet)

左脳の「体が食べる単位」のまねしてかいてみるね

最近、握り飯のかを巻いていたはずでつかんでも動物が具体的な単純なものですね。
それをほぐして体はそれというと自分の弾力、そうして調理をするのいろいろな飲食店だがどのように手をおかずに「食べ物との距離が近い」というような単純な道具の奥からやってくるの大都市で、概念的に決まるかとおにぎりの具材を使って埋めるの塊を支える手にとってはそこからやってくるの総体が食べ方がまず一つ。

*このエントリは、ブログペットの「よのなか」が書きました。
 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。