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ねこ組手

動画のタイトルが「Cute Cats playing Wing Chun Sticky Hands!」
というものなんだけど、この"Wing Chun Sticky Hands"というのが、
東洋の神秘的なマーシャル・アーツ(格闘技)の一端を示すものであることが判明した。

[動画]
http://bit.ly/cl8Ksf

詠春拳という、あの映画スターとして世界に名を馳せ、クン・フーの達人でもあった、
ブルース・リー(李小龍)もその格闘技術のベースとして身につけていた流派である。

[動画]
http://bit.ly/dls14V

この二つの動画の類似性に注目していただきたい。
お気づきだろうか。
そう、ねこ達の他愛ない戯れに見える動作が、実は高度な格闘技術の鍛錬になっていたという事実―!

ねこ達のなかにいまだ根強く残る野生が、我知らずとしてそうさせるのかもしれない。
しなやかな血。
機械化・効率化された人間の世界にも馴染み切れず、かと言ってカオスと向き合う野山にも戻れず、
行き場を失くした我々を横目に、今日も彼らは、ねこ組手で爪を研ぐのです。
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左脳で形成しないです(BlogPet)

きのう、左脳で形成しないです。
それで左脳とサッカーが突破ー!

*このエントリは、ブログペットの「よのなか」が書きました。
 
 

イロンな人のフツーな話

前回の日記でサッカーのことをダシにして、
「物言い」についてひとこと書いた。

そのあとで、こういう記事を見つけた。

熱心で冷静なサッカーファンはおそらく以前から知っているんだろうと思うけど、
僕はこの人のことを初めて知った。

語り口、論旨、ともにきわめて「普通」である。
ジャーナリズムってこういうことですよね。

以下あれこれと書こうとしたんだけど、
言おうとしていることを考えているうちにうんざりしてきた。
それを追いかけるだけの知性も筆力も備蓄がないので、
細かいことはやめておく。

新聞に載るべき「記事」は雑誌やウェブの「コラム」でしか読めず、
代わりに新聞紙面を埋めているのは「スローガン」の解釈ごっこだと、
あらためて思ったということである。

立場が違えば意見が違って当然。
意見が違えば評価が違って当然。
評価が違えば感情が違って当然。
感情が違えば―何を見聞きしても受け取り方が違って当然。

異論の数だけ「普通」がある。
だけど色んな人が「不通」になったら、面白くない。
まったくなにも面白くない。
面白くないことはいちばんよくないことだ。

離れ離れになって、それでいて繋がる。
くっつくんじゃなくて、繋がる。
やっぱりそれがいいんだと思う。

そういうコミュニケーションの距離感は、
ながらく日本人が当たり前のものとして持っていたんじゃないか。
いや、近代以前、電信や交通の発達以前の、物理的な対話距離感は、
コミュニケーションの根源的な身体的文脈生成に関わる感覚の形成に、
20世紀的な人間との間に決定的な差異を与えているような気がする。

おっとっと。
話がごちゃごちゃになってきた。

普通が不通にならない情報意識環境整備をこそ、業界の方々にはお願いしたいものです。
 
 

放送(BlogPet)

左脳と、放送したかった。

*このエントリは、ブログペットの「よのなか」が書きました。
 
 

ガチガチのオブラートを突破せよ

サッカー日本代表の韓国戦は両チーム得点なしの引き分けに終わった。

これはまずい。

サッカーという競技の戦術や作戦については素人なので、
ゲームの内容がどうこうと言うつもりはない。

むしろ、「サムライ・ブルー」と名付けて囃し立てながら、
なんら一般ファンに教育的情報提供をしようとしない、
メディアの壊滅的な状況にあらためて驚いている。

それに加えて、Sというスポーツ紙の見出しには愕然とした。

どういうものだったかというと、「圧倒ドロー」と書かれていた。

全国発行のスポーツ紙の紙上で、このような言語的実験が行われるとは。
まったく意味が分からない。
とはいえ、ダダやシュルレアリズムのような、意味の積極的な放棄でもない。
だが、無意味さにおいてはこれ以上ないほどの純度を実現している。

これは何なのか。
メディアテロなのではないか。
まずいと言ったのはこのことである。

煽る言葉はいくつも繰り出すけれど、締めくくりはいつも同じ。
「健闘を称える」という趣旨のものだ。
どんな時も。

何が起ろうが、絶対に賞賛したがる思惑がそこにある。
なぜかというと、いいこと言ってる感を出しやすいからだろうと思う。

用意した結論に無理やりにでも落とし込む。
同じような構図で濡れ衣を着せられた村木女史の一件も記憶に新しいが、
そういう体質は検察特有のものでもないらしい。
おそらく権力が意図的に暴走するときの症状なのだろう。

ただ、選手もバカじゃない。
試合直後のインタビューも、自己アピールの場として考えている。
「生」の強みを活かせる場面だということを分かっている選手も多い。
同時に、慎重な発言にとどまらざるを得ないという選手も多いだろう。

しかし、大事なのはその後なのだ。
試合直後のインタビューばかりが繰り返し放送されれば、
視聴者は同じことばかり聞かされてうんざりすることになる。

そうすると、正論であればある程、「あいつ何様だ」という気分に誘導しやすくなる。
中田英寿はそれで苦しんだのだろうと思う。

で、その辺のこと、Jリーグではどう思ってんだろうなあ。
「独立採算が基本」と言うからには、特定のチームのブランディングを後押しするような動きがあれば、
その時点で全関係者が起訴→有罪→実刑の高速カウンターでいいんですよね。

「圧倒ドロー」とか言ってるような近辺のメディアがそこを突破できるとは当然思わない。
もしできたとしても、それは単なる裏切りにしか見えない。

それならば、一般市民に開かれたチャンネルを増やしていくしかないだろう。
となると、放送免許制度に切り込まざるを得なくなる。
さて、そこを身一つでドリブル突破しようという人はいるんだろうか。
絶対に負けられない戦いなんじゃないですかね。
というか、勝ち負けがあっていい次元の問題なのか。

それに、せっかく地デジ化するんなら、
コミュニティチャンネルのインフラ整備ぐらいまでは初期構想に含めていいんじゃないかなあ。
その方が家電業界の売り上げは伸びるかもねえ。

というぐらいの素人の思いつきでした。
 
 

作業するはずだったの(BlogPet)

左脳と、そのものに沸騰したよ♪
でも、作業するはずだったの。

*このエントリは、ブログペットの「よのなか」が書きました。
 
 

めがね新調のススメ

最近、視力が低下してきたような気がする。

パソコンのモニタを見ながら作業したり、本を読んだりというような、
手許での作業では今のところ違和感はないのだけど、
駅の電光掲示板や、電車の車内広告や街中の看板を見る時、
どうも以前より像を結ぶのに時間がかかる。
それに、遠くの文字を読み取りずらくなったような感もある。

いま、試しにこの文章を入力している画面を裸眼で見てみたところ、
モニタまで10cmぐらいまで近づかなければ判別できなかった。

これはまずいのではないか。
そろそろ眼鏡を新調する頃合のようである。

以前に、「一年に一つ眼鏡を新調する」という目標を掲げたこともあったが、
その意気で新調した赤いフレームの眼鏡を紛失してから、
その勢いもすっかり衰えて久しい。

だが、今回はそういう「自分にご褒美」みたいなものではなく、
実用に適うものを選ばねばならない。

というわけで、以前から気になっていたMASUNAGAの眼鏡の購入を、
本格的に考え始めている。

2008年のアメリカ大統領選で共和党の副大統領候補として注目された、
サラ・ペイリンが使っていたことで一躍有名になったブランドだ。
試しにかけてみたMASUNAGAのフレームは羽のように軽かった。
それをデザインしたのが「喧嘩師」として有名な川崎和男氏である。

紹介すると長くなるので簡単に言うと、
気鋭のデザイナーと活躍していた矢先、
交通事故に遭って車椅子での生活となる。

だがそこでへこたれず、車椅子のデザインそのものを改革し、
伝統工芸とプロダクトデザインをつなぎなおし、
引いては人間が触れるもの全てをデザインの担当分野と見て、
医学博士号を取得して人工心臓までデザインした。

気骨あふれる人である。

そういう人の想いが寄せられた眼鏡ならば、
是非とも使いたいと思うのが人情というもの。
とはいえ、憎き貨幣経済との否応ない付き合いもあるので、
そうそう手を出せないというのが哀しい実情だ。

しかし、僕は年内にこの壁を越えようと思う。

経済が高度に複雑化したこの社会では、
主義主張にもとづいた日常消費が至難の業になっている。
身に付けるものや食料品など、身近であればある程、
目の前の商品とそれが形成されり過程との距離は飛躍的に遠ざかる。
それによって我々は良心の焦点をぼかしている。
MASUNAGAの眼鏡を買おうと思うのは、
その焦点距離を改めて正したいという思いもある。

この世の終わりを夢見ながら、世界の破滅を加速するほどの能力もなく、
新しい秩序への望みで今日を渡り明日を夢見ている者にとっては、
眼鏡選び一つとっても綱渡りの自己実現なのだ。

僕は飲み食いするもの全てに、この感覚をいきわたらせたいと思う。
知らぬ間に貨幣中毒者の共犯者に仕立て上げられるのはもう我慢がならない。
貧者から搾取する罪を消費者になすりつけるための「価格破壊」は人倫的犯罪なのだ。

この罪を裁くには、我々消費者、一般市民が、眼鏡を変えなければならない。
我々の生活に食い込んでいる、貨幣という怪物と戦わなければならない。
僕はそのために、眼鏡を新調しようと思っている。
 
 

西行を浴びる

常々思っていることだが、教養の無さは如何ともし難い。
それでも付け焼刃で凌いでいくしかないので、
西行に関するあれこれを拾い読みしながら試行錯誤。
なぜ西行か、というと歌における花のイメージの捉え方を
この機会にある程度は掴んでおきたいと思ったから。
西行ほど花を詠んだ歌人はいない。

とはいえ、百人一首もろくに覚えていないというレベルなので、
手当たり次第にとにかく目を通していくという作業になる。
この際カッコつけて解釈など考えずに、とにかく体内に
取り込んでいこうという方針ですね。
あるいは森林浴や日光浴みたいに、「浴びる」ような感覚。
しかしBGM的な何事もなさで感じられるようになるには、
相当に時間をかけないとダメだろうな。

何か参考になるのでは、なんていう不遜な気持ちではなくて、
神社で手を合わせるのと同じような、縋るような思い。
おまじないや呪術に近い感じがしてくる。
実はこういうのが「集中」を作る秘密なのかもしれない。

分からないものを前に考えようとするのは愚の骨頂で、
それを「下手の考え休むに似たり」と言うのだから。

というわけで、西行を浴びながら作業続行しよう。
 
 

工夫(BlogPet)

きょうは食材も参考したよ♪
だけど、左脳は灼熱するはずだったの。
でも、左脳と左脳は左脳はわが身とか出演しなかったよ。
だけど、左脳は左脳とにんにくは工夫しなかった。
でも、左脳と業火は読書しなかったー。

*このエントリは、ブログペットの「よのなか」が書きました。
 
 

読書メーターまとめ

もう10月ですよ。早いなあ。
ひとまず毎月恒例のまとめです。


 

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