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共犯の空舞台 映画「立喰師列伝」感想 第一回

押井守監督の新作、「立喰師列伝」を観てきた。
作品の詳しい情報は公式http://www.tachiguishi.com/top.htmlを参照してもらうとして、
例によって妄想を交えた感想を。

と思ったけど、また観に行くつもりなので、まとまらない部分は切りました。
今後数回に分けて書いてみよう。

というわけで感想第一回目。

「スーパーライブメーション」の技術によって、
肉体や動作といった存在の付加価値をギリギリまでそぎ落とし、
個人に帰属するイメージとしての「人物」をフィルムに固着させた。

そこに現れるのは「人物」という文字の通り、「人」であり、同時に「物」である。
この手法によって表現しなければならなかったものとは何か。






戦後という時代。
日本中で、人も物も爆発的に増え続けた時代。
個人の存在が圧倒的な「量」に飲み込まれ、その増加のスピードに翻弄される。
全てが数値化され、定量化された基準に沿って管理される世界を理想として、
「発展」という共同幻想を拠り所に、一億人の共犯が始まったのである。

その過程において、「復興」の名の下に加速度的な経済成長と、
物質的な生活様式の急激な変質を体験する。

国中で増え続ける物量に対応するため、ひたすら「入れ物」を作り続ける。
果たして、国家は繁栄という演目の空舞台となり、中流の顔をした観客で連日ごった返すのだ。

監督自身が目撃し、体験してきた戦後という時代。
それは敗者が徹底的に自身の過去を塗りつぶそうとした歴史だった。
それには大量の塗料を必要となり、その役割を果たしたのが、
いわゆる「高度経済成長」というお祭り騒ぎだったのかもしれない。



つづく。


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