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希求

映画リバティーン」の話。

画面が暗い。
ただ暗い、というのではなく、自然光の作るぼんやりした陰影の中に、
色彩自体は鮮やかながら、生命感の乏しい、美しく霞んだような映像が、
じわじわと観る者の正気を奪い、混沌への扉を静かに開いていく、そんな暗さ。
妖しい澱み」とでも言おうか。
僕が今まで見たことのない映像だった。

いまさら言うまでもないことだとは思うが、映像作品において画面のトーンは、
観客がそのシーンの基本となるイメージを固定する為の装置として機能する。
ひいては作品全体のイメージの醸成に占める割合が最も大きい要素だと言える。
それは観客の眼から進入し、言語化される前に素早く行われる一方的な姦淫だ。


話を戻そう。




1660年代のロンドン。
幽玄としたその映像の中で繰り広げられるのは、放し飼いにされた放埓。
誰よりも先んじて、誰よりも見事にそのすべてを纏って見せる男は、
その度に自身もろとも世界を笑い飛ばそうとする。
次から次へと退廃をロンドン中の酒で飲み下し、猥褻と毒舌で吐き戻す。
しかし、いくらそれを繰り返しても彼の心は満たされない。
いつしか彼は自分を取り巻く現実に何ほどの価値も感じなくなっていた。

ある日、欲望の達人はロンドンの芝居小屋で、一人の売れない女優に出会う。
そして涸れ沼のような心に再び情熱を満たすもの、そのわずかなよすがを彼女に見出す。

感動したいんだ」と彼は言う。

なんと純粋で簡潔な生きる動機だろうか。
おそらく人間は「感動」の為に生きることのできる唯一の生き物だ。
美への渇望によって命を燃やし、心を震わせる事のできる存在。
彼はその光明を彼女に見出し、自らの魂を告白した。

僕はこの一言が、この作品を観た最大の価値だと思っている。

なのでこの後についてここでは語らないことにする。
きっとなおざりなものになってしまうだろうから。


しかし、当時のロンドンの状況が、今の日本と妙に類似するように感じる。
元は同じウィルスだが、変異して抗体を無力化しているような・・・
まあそれは余談か。


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