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マンガのチカラ

先日、久しぶりに漫画雑誌をめくっていた。

『comick乱』という、さいとうたかをの『鬼平犯科帳』を看板連載とする、
時代物に特化した、はっきり言っておっさんしか読まないようなものだ。

実は僕が『鬼平』を知ったのはこの雑誌が最初だった。
以後コミックスを少しずつ、中古が主ではあるものの追いかけるようになり、
CATVでドラマを観て、中村吉右衛門のものまねをして遊ぶようになり、
池波正太郎の原作も少しずつ読むようになった。

そんなわけで、僕にとってはある程度「信頼できる」雑誌なのだ。

その久しぶりに手にした漫画誌の中に、伝記漫画のようなものが載っていて、
それが凄く面白かった。
というか、この人のことを知らずにいたことが憚られるような思いだ。

その漫画の主人公は塙保己一。
はなわ ほきいち と読む。

この人がどんな人かは、検索すれば出てくるし、何より『comick乱』を読めば分かるので、
省くことにする。
簡単に触れておくと、子供の頃に失明し、盲人コミュニティの中でもうまく生きられず、
失意から自殺しようとした所を、近所の侍に拾われ、学問に才を発揮した。
その才能は驚異的で、盲人故に読み聞かせでの講義による学習が主体だったのだが、
なんと聞いたそばから即座にその内容を丸々暗記してしまうというものだった。
そしてその後、学問の道に邁進し、空前絶後の偉業『群書類従』を成す。
これは日本の古典や、古い文献、書簡などの散逸や消失を防ぐために、
それらをことごとく集め、すべて版木に彫って保管するという、
勇敢なる知のアーカイブ事業だった。
『群書類従』を幕府の事業として取り上げて後押しした、時の老中水野忠邦は、
「保己一は人間ではない。書物の精が人に化けたのだ」とその人物を評している。

感動した。
泣きそうになった。
まあ近頃は年のせいか涙腺もゆるゆるで、オリンピック中継を観ていても、
競技直後の選手のインタビューなどの場面では、勝手に目尻が潤むようになっているので、
自分の涙はかなりお安いものだとは思う。

それでも、おっさんを泣かすような伝記漫画が、まだあるということが、
そういう表現が可能だということが、嬉しいではないか。
少年期に漫画ばかり読んで育った、いわゆる「ジャンプ世代」が年を重ね、
こうしておっさんになり、そしておっさんなりに漫画を楽しめている。
そしてそれに足る作品を商業誌で世に出す力が、まだ漫画というメディアには残されている。
他ジャンルと比較しても、今回の芥川賞作品の退屈さに比べれば、また、
不特定多数向けの応援歌を量産する流れ作業に成り下がった歌モノ音楽産業、
(これをJ-POPと言います)の惨状を見れば、よほど希望は残されているのではないか。

そこで僕が望むのは、こういう伝記漫画を「友情・努力・勝利」的な、
週刊少年漫画誌にこそ掲載して欲しいということなのだ。
そして実現の際には、伝統あるアンケート葉書方式の対象とせず、過剰な劇化を避け、
淡々とその人物を、その業績を描いて欲しい。

数ある連載の中で、そういうものが一本ぐらいあってもいいではないか。
こう言うことは書きたくはないが、昔は「子供に見せたくない」などという、
ネガティブな形ではあるものの、一応は「旗色鮮明な物言い」というものがあって、
その是非や巧拙や善し悪しは別として、それなりのリテラシーを示していた。
対抗意見があったのだ。

それが、我々のような漫画を読んで育った「ジャンプ世代」が年を取り、
おっさんになり、(僕は違うけど)人の親となる時代になったいま、
漫画全体そのものがあまりにも無条件に受け入れられ過ぎている気がする。

性表現や暴力表現、未知なる脅威、正体を隠しながら迫ってくる圧力、
異世界、異能、あらゆる非日常を、漫画はいとも容易く誌面にぶちまける。
それだけパワフルなメディアに関わっているということに、
実は当事者が一番鈍感なのではないか。
もちろんこの「当事者」というのは、漫画の作家ではなく、版元、編集者、
そして「ベテランの」読者たちのことだ。

とくに版元や編集者の嗅覚が小銭の匂いしか嗅がなくなったことは犯罪的だ。
漫画読者の大多数をリテラシー不全の病理に突き落としているような気がするのだ。
少年向けまたは青年向け漫画誌が相次いで休刊したのは、ただ単に少子化だけが原因ではないだろう。
他の雑誌でいくらでも読めるような、虚構を保留するためだけの虚構とでもいうような、
つまらない世界を量産することばかりを作家に強要し、その力量は作画の速度、
流行に則した人体顔面描写と、その精度が如何に長けているかについてしか評価しない。
いや、できない。

それは、リテラシーが未熟だからなのだ。
そしてそれは「ただいま現在の読者」が「現時点でとりあえず○を付ける」という、
「アンケート葉書方式」という自浄作用ゼロの丸投げ評価体質にあると思う。
この方式は編集部として、作家に対してはもちろん、読者に対しても、
一切の責任を全く取っていないのだ。

作家は自分の表現を世に出したい。
読者は面白い作品に触れたい。
この間に立つ版元は、当然のことながら両者の間を行き来する丁稚であるべきだ。
これは身分のことを言っているのではない。
職能や作品に関する領分のことを言っているのだ。
それを、責任は一切取らず、お前ら寝る間を削って漫画描け。
そしたら一応ストックしといちゃるわ。
というような態度をこのまま続けるのならば、その版元は遅からず業界での地位を失するだろう。

そろそろ大物漫画作家同士の連帯があってもいいのではないか。
でなければ、若い作家たちが、その才能や技量に比してあまりにも不遇だと思う。

だいぶ話が逸れてしまった。
ただ、「漫画」というメディアの力を、過小評価しないで欲しい。
そして、拡大して悪用しないで欲しい。
僕はただ、漫画を漫画として読みたいという一人の読者なのだ。
そのために出来ることがあれば、こうして拙い筆ではあるものの力になりたい。
そう思っているだけなのだ。
そして、いい漫画を読めればそれでいいし、それを誰かに伝えたくなればもっといい。
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