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祈りの器

代々木上原の駅で降り、井の頭通りへ出て坂を登っていくと、中ほどに東京ジャーミイがある。

かつてロシア革命によって故郷を捨てざるを得なかったタタール人たちが東京に開設した、
「東京回教学院」を前身とする、日本有数の大規模なモスクだ。

白い外壁が美しい。
その日はあいにくの曇り空だったが、晴れた日にはさぞ太陽に映えることだろう。

中に入ると、真っ白な壁や柱の随所にイスラム文字のカリグラフィーが施され、
僕には読めないけれど、ここが祈りのための建物であることが改めて実感される。

ちょうど写真展をやっていたのでひと通り見て回ると、
作品を展示してある部屋の壁に、天井まで届く大きな本棚がしつらえられていた。
棚にはアラビア語やトルコ語、英語に日本語、さまざまな言語のイスラム関連書が並ぶ。
一番上の棚には崩れかけた皮の表紙の大きな本があった。
きっと古いコーランなのだろう。
どれぐらい前のものなのだろうか。
東京回教学院が出来たのは1938年だというから、70年前のことになる。
おそらくそれぐらいか、それ以前のものに違いない。

礼拝堂は2階にある。
白い石の滑らかな感触を靴底で感じながら階段を上ると、目の前に礼拝堂の扉が見える。
靴を脱いで中へ入ると、まずステンドグラスが目に留まる。
天候を恨んでも仕方がないが、やはりこれは晴れた日に見たかった。

足下には緑地に赤の縞が入ったじゅうたんが一面に敷き詰められている。
壁にはやはりカリグラフィーがあり、天井を見上げると細密な幾何学模様の装飾があり、
ずっと眺めていると目の眩むような感じがして、ここが東京だということを忘れそうになる。

僕がウロウロしながら眺めまわっている間にも、ムスリムの方が祈りのためにやってくる。
入り口の扉の正面にある、くぼみのある壁に向かって、祈りの所作をする。
こちらが西方、メッカの方角なのだろう。
頭を下げ、膝を着き、額を床に着けて祈りの言葉を唱える。
これを何度も繰り返す。

邪魔にならないように隅のほうに移動して祈りの様子を見ていると、
一人の男性がマイクを持って礼拝堂に現れた。
一呼吸おいて、彼は声を発した。
よく響く高い声が、歌うように祈りの言葉を礼拝堂に満たしていく。

力強く、そして哀切な倍音が、礼拝する信徒の個有的身体と、
礼拝堂という共有的身体としての建築物を接着する。
祈りのための言葉と声によって、祈る者と祈りの場が貫かれ、同時に包まれる。

きっと彼らはこうして世界との繋がりを確認しているのだ。
これはそのための祈りなのだ。
そしてその祈りを胚胎させる器として、この建物はあるのだろう。

礼拝が終わり、声明を唱えていた男性は数人いた信徒たち全員と握手を交わして退場する。
それを合図に、皆そぞろに礼拝堂を後にする。

祈りの器。
モスクはいつも、次の祈りの満ちる時を静かに待っている。



*余談*
礼拝堂に行く前にトイレを済ませようとしたら、小便器がない。
立小便は禁止だという。
イスラム文化圏ではそういう風習なのだろうか。
それともモスクでは禁止ということなのだろうか。 
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