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未知を食べる

先日の日記で「手づかみでモノを食べること」についてくだくだと書きました。
長いんで、興味のある人はあとで読んでみてください。
その中で、ナイフ、フォークと箸の違いについてチラッと触れたまま、力量不足で宿題にしたままになっていた。
そこにちょっと手をつけてみようと思います。

コメントの返信で、考えていることについて大まかに書いておいたのだけど、この両者の違いは、
西洋と東洋の「考えかた」の違いに起因するのだと思っています。
何故そう思うのかというと、この両者の道具としてのあり方を考えると、その違いが明らかだからです。
どう違うのかというと、ナイフ、フォークの場合、食べるモノに合わせて、大きさや形状の違うものを、
あれこれと持ち替えて組み合わせながら使います。
スープを飲むスプーンと豆類などを食べるスプーンは別のものを使うし、
肉を刺すフォークと麺類などを食べるフォークは反りが違ったりします。
ちょっといいトコのレストランなどだと、席に着いた客の両側にずらりとそれらが並びますね。
(アレは外側から使うんでしたっけ?)
これは、対象物に対する対処の方法を、外側に随時構築していくというやり方です。
対象物を細かく分類して、それらと一対一で対応するように対処法を用意していくんですね。

それに比して箸の場合は、道具を持ち替えるのではなく、手のほうを使い分けます。
といっても、食卓にたくさんの手を並べるわけではなくて、食べるモノに合わせて、
持ち方を変えたり、動かし方を変えたりして、何を食べるにしても二本の棒で対処するんですね。
汁物の類はそのための道具を用意せず、椀に直接口をつけて飲みます。
これは、対処の方法を、内側から導き出すというやり方です。
対象物の分類をやわらかくして、自分の動かし方を変化させていくわけです。

このように考えていくと、「食べ方の違いは考え方に起因する」のではなくて、
むしろ「食べ方の違いが考え方の違いを生んできた」のではないか、と思えてきます。
土地土地で手に入る食べ物は違うので、知らない食べ物に接するたびに、
「それをどう食べるか」を我々の先祖は考えていたのではないでしょうか。
そして食べ方を開発し、その食べ物を「考えごと食べてきた」のではないかと思うのです。
つまり我々は、未知を食べ続けてきた種族なのだと。

さあ、今回はこの辺が潮時のような気がします。
引き続き考えていくので、また何かネタに行き当たったら書いてみようかな。
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