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イロンな人のフツーな話

前回の日記でサッカーのことをダシにして、
「物言い」についてひとこと書いた。

そのあとで、こういう記事を見つけた。

熱心で冷静なサッカーファンはおそらく以前から知っているんだろうと思うけど、
僕はこの人のことを初めて知った。

語り口、論旨、ともにきわめて「普通」である。
ジャーナリズムってこういうことですよね。

以下あれこれと書こうとしたんだけど、
言おうとしていることを考えているうちにうんざりしてきた。
それを追いかけるだけの知性も筆力も備蓄がないので、
細かいことはやめておく。

新聞に載るべき「記事」は雑誌やウェブの「コラム」でしか読めず、
代わりに新聞紙面を埋めているのは「スローガン」の解釈ごっこだと、
あらためて思ったということである。

立場が違えば意見が違って当然。
意見が違えば評価が違って当然。
評価が違えば感情が違って当然。
感情が違えば―何を見聞きしても受け取り方が違って当然。

異論の数だけ「普通」がある。
だけど色んな人が「不通」になったら、面白くない。
まったくなにも面白くない。
面白くないことはいちばんよくないことだ。

離れ離れになって、それでいて繋がる。
くっつくんじゃなくて、繋がる。
やっぱりそれがいいんだと思う。

そういうコミュニケーションの距離感は、
ながらく日本人が当たり前のものとして持っていたんじゃないか。
いや、近代以前、電信や交通の発達以前の、物理的な対話距離感は、
コミュニケーションの根源的な身体的文脈生成に関わる感覚の形成に、
20世紀的な人間との間に決定的な差異を与えているような気がする。

おっとっと。
話がごちゃごちゃになってきた。

普通が不通にならない情報意識環境整備をこそ、業界の方々にはお願いしたいものです。
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