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貧者がスタイルを生む

台風の影響は予想より少なかった。
いいことなんだけど、季節外れにのこのこやってきて、
この程度の存在感しか残さずに去っていかれてみると、
警戒して損したような、何やら妙な気分だ。
肩すかしをくらったというか。

いやまあ、影響が少ない方がけっこうなことではあるんだけど。
そのおかげで電車も無事に動いている。
便利だ。安全だ。それに異論はない。
その恩恵にあずかっているのだから。

ただ、こうして気象からの影響が少なくなるにつれて、
どんどん自然が遠くなっていく気がして何やら不安にもなる。
ただぼんやりとした不安だけれども。
あ、ぼんやりしてるのはいつものことか。

では、ぼんやりと話は変わる。

先日、僕の弟から聞いた話がなかなか面白かった。
何の話かというとファッションの話である。
アローズとか覗いてみてもカーディガンに12,000円など出す気になれず、
結局手ぶらで帰るのが常となって久しい僕がファッションの話をする。
しかもヒップホップ・ファッションについてだ。
おかしいだろう。

きっかけは忘れたが、弟との会話がそういう流れに向かった。
ちなみに弟は中学生のころからヒップホップ音楽に興味を持ち始め、
15歳で愛読誌が「ブルース&ソウルレコーズ」と「BUBUKA」という、
真っ正直に捻くれた、微笑ましい馬鹿者に育った。

ひょんなことから、かつてのヒップホップ関連人物がまとっていた、
ダボダボの衣類について話が及んだ時のことである。
なぜ、彼らはあんなにダボダボのオーバーサイズの服を着ているのか。
それについて、弟から解説があった。
それは、ヒップホップ・ミュージックというモノの来歴と軌を一にする物語の一端だった。

ヒップホップ・ミュージックは、言わずもがな、アメリカの大都市に暮らす、
若い黒人たちの間で発生した音楽と言語による表現形態である。
その、若い黒人たちは、ほとんどが貧困層の生まれ育ちだった。
諸々の状況に迫られて、彼らは日銭を稼ぐために盗みを働く。
銃社会のアメリカで警備員と撃ち合いになるリスクを避ければ、
金融機関や宝飾店などは避けることになり、盗品を捌く手間を考えれば、
電気製品などの重いものは避けることになる。

そこで、主力商品(?)になったのが衣類だったようである。
押し入った店にある衣類をとにかく片っ端から運び出し、素早く売り捌く。
そうして日銭を稼ぎ暮らすわけだが、なにしろ店にあるものを選びもせずに
持ち出すわけだから、サイズはバラバラである。
小さすぎるものや、大きすぎるものは、やはり売ろうとしてもなかなか売れない。
小さいモノは甥や姪などに渡したりもしただろう。
それで、最後に残るのが大きなサイズのものだ。

もうお分かりだろう。
彼らは盗品を売り捌いた余りを着ていたということなのだ。
結果、大きなサイズのものをダブつかせながら着ていたわけである。

そういう連中の中から、ヒップホップ・ミュージックで活躍する者が出てきて、
その「異形性」がキャラクター化されて広まっていったというわけなのだ。
なるほど、理に適う。

窃盗が犯罪行為であるということは当然だ。
そんなものは感想ですらない。
ましてや意見などであるはずがない。
漢字ドリルをなぞるほどにも頭脳を働かせていない。
そんなことを言う人が、まさかルパン三世という、
泥棒を英雄視する作品を見たり読んだりして喜んでないよね。

この話の本質は、貧者が生きようとする苦し紛れの行為から、
いつの間にか一つの文化の芽が育っていたということなのだ。

侘びではない。
しかし結果として、その時点では侘び的な表現になっている。
だが、侘びと決定的に違うのは、その来歴を開き直ってスタイルにしているところだ。
侘びはそこを突出点にせず、さらに負へと向かう相対的な精神を持つのだが、
ヒップホップはそこで競争に参入する「権利」を得たと思っている節がある。
どうもそのあたりから急速につまらなくなっていったように見える。

とはいえ、結果として、そういうテイストの専門ブランドさえできた。
ともかくも、一派を立てたわけだ。
しかし、それを好んで選びとるのは、一体どんな人々だろう。
どういう経緯でそのスタイルが生まれたか、興味を持つ人がいるのだろうか。

装いが意志に基づかなくなったのなら、衣装が貨幣にひれ伏したのなら、
服飾に関わるすべての人は「ファッション」などと口にすべきではない。
"fashion"とは「作る」「成す」という意味の"factio"という、
意志を物質化する力を表すラテン語を語根とする。

この時代に、貧者の必然から新たなスタイルを見つけられるのか!?
我々は「お客様」じゃないんだ。
「貧者」なんだということを、忘れてはならない。
貨幣経済的な意味よりも、文化や意志を生きることに於いて、
最底辺にまで地盤沈下しているということのほうが、
人間としては深刻なものに思える。
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