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1910 歴史の迷子

自分から望んだこととはいえ、日本における電信の歴史と、
セルアニメ黎明期の状況を同時的に調べるという厄介なお題を背負ってしまった。
いよいよ国会図書館デビューのタイミング到来かもしれない。
資料が少なくて、身の回りでは調べきれそうもない。

電信の方はそれなりに追えそうな予感がするのだけど、
アニメについては見通しが立たない状況。

丁寧に根っこを掘っている人が皆無に等しいという事実をあらためて認識した。
現状では津堅信之という方しか通史的な視点を重視している人がいない様子で、
一時期ジャパニメーションだ文化輸出だと騒がれたけど、
なかなか市民感覚に訴求するに及ばないのも道理だ、という印象。

当方としても論文を書こうというつもりではないのだけど、
それでも日本で共有されている情報の少なさには愕然とした。
いまもざっとテレビのチャンネルを一巡したら、TVKでアニメが放送していたように、
放送コンテンツとしては一つの定型を成しているにもかかわらず、この状況。
流通量と文化的練度には何の関連もないということをあらためて実感。

しかし、僕が調べている1910年周辺、ジョン・ランドルフ・ブレイ周辺では、
アニメーションが新たな表現手法として育っていく過程があったはずなのだ。
当該業界人がそのことを顧みようとしないという感覚はどうしても理解できない。
近年の大河ドラマを、違和感なく見ることができる人びとの感性とも関係があるのだろうか。
まあ、そんな当たり前の感想をつぶやいても始まらない。
ことによると愚痴だと受け取られかねないしね。
自分が賛同できない情報はすべて愚痴か誤報だと見做す人は多いから。

ブレイという人は、職人や表現者としての才もあったようだが、
アニメ界に分業制によるスタジオワークを確立した人だったらしい。
つまり、ピクチャレスクな分野に19世紀的な産業革命が及んできたということなのである。
僕はそう考えている。
だからこそアニメーションはあの時代に商品に成り得たし、生身でも機械でもない、
いわば「第三の身体」を先取りすることもできたのだと思う。
肉体と精神が一緒くたに引き裂かれていくことを予感していたともいえる。
未だ凍結中だが、押井守の「ガルムプロジェクト」はこの時すでに胚胎していたのかもしれない。

なんて妄想は控えめにして、ともかく資料を探さねば。

ちなみに、同報電信は現在のあらゆる電子通信手段のご先祖様です。
こちらも無線愛好家その他の方々が通史を整備していない。
または技術的な出来事しか拾っていないため、時代的な情報になっていない。
その結果、我々一般人が100年以上も受信確認できないままになっているのはご存じの通り。

で、僕がなんでこんな苦々しい記述をわざわざしているかというと、
その理由は上記から察するに難くない。

この記述が何年先まで残る情報か分からないけど、
もしこの記述が多少なりとも歴史に言及していると評価されたなら、
少しでも調査の道筋を定めるのに貢献できる可能性があるのならば、
書いておくにこしたことはないと思うからである。

2010年の時点で、1910年周辺の日本の電信環境や、アメリカでセル技法が開発されたばかりの
アニメーション業界を調べようとした、特に関わりのない日本人がどういうことを感じたか、
書いておくことは、無価値ではあり得ないはずなのだ。

なぜなら、僕がいま調査している事柄について、そのような記述でも収集したいと思っているからである。
結果的に、僕がその情報を直接的に何かの形で発表したりすることはないかもしれない。
それでも、その記述に触れたかどうかによって、その時代の空気を感じる、
あるいは想定する際の、密度のようなモノが明らかに変わってくるはずである。

なんて殊勝なことを思ったりもするようになった。
こういう形で歴史に取り組むという機会を得ることができて、よかったなあ。

そんなわけで、何か役立ちそうな情報があれば教えてください。
よろしくお願いします。
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