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早く人形になりたい!

久しぶりに球体間接人形展の図録やら、ベルメールの写真集やら、
いろいろと眺めまわしております。

制作のインスピレーション喚起のためなんだけど、
好きな分野なのでパラパラめくっているだけでも、
やはり刺激を受けやすいようだなあ。

なにしろ歩き方が変わった。

人形の写真や図像を見ているうちに、なんだか自分の身体よりも、
段違いに生々しい存在として僕に迫ってきてしまうものだから、
勢い、自分の体を人形になぞらえてみたくなってくる。
簡単にいうと、人形への憧れが湧いてくるわけですね。
と、書いて思い出したけど、この類のモノを避けるようになったのは、
そういう理由だった。人形に嫉妬してしまう自分が怖かったんだ。
どうやら今はそこまで深刻な状態ではないようで、まずはよかった。

で、歩き方が変わった、という話。




「変えた」のでなく「変わった」のです。

ある晩、琥珀ヱビスが恋しくてコンビニへと夜道を歩いていた時。
ただでさえ猫背なところに、寒さで縮こまった上半身がやたらと
重かったんですね。
背中がかったるくなったもんで、グイッと背筋をそらせてみたら、
偶然にすごく安定するポジションを探り当てたようなんです。

伝わるかどうか分かりませんが、その安定感を言葉にするならば、
「自分の尻の上に腰かけている」とでもいうような感覚でした。
非常に身が軽くなって、実に気分がよろしい。

しかし、愛しの琥珀ヱビスが僕を待っている。
気分がいいからと、ひとつの場所に留まっているわけにはいかない。
男には一歩踏み出せばならない時があるのです。
それも、わりと頻繁に。

そんなとき、男はクールに歩き出さねばならないわけです。
だからそうしました。
その体勢のまま、ついっとつま先を滑らすように、送り出しました。
それが「変わった」瞬間でした。

なんということでしょう。
足首の動きにつられて、膝、股関節、脊椎、鎖骨と肩関節、肘、
手首、小指までを一つの刺激が一瞬で到達する様子に「触った」
ではありませんか。

と、気づいた時には二歩目、三歩目が自動律的に実行されている!

実に驚いた。
ばね仕掛けのように、後から後から踏み足が出てくるぞ!
これは歩行の奥義ではないのか!
なんて興奮していたところで、大通りに差し掛かり、信号に捕まった。
残念無念、仕方なく信号待ちをし、横断歩道を渡る頃には、
あのグルーヴは何処かへ行ってしまい、トボトボとコンビニへ向かった。

さて、目当ての琥珀ヱビス嬢を手中に収め気を取り直しての帰り道。
やはりあのグル―ヴィーな歩行が思い出される。
10分たったかどうかなのに懐かしくてたまらない。
思い出しながら歩いてみても、あの感覚は得られないまま到着。
そして、あのイメージはぼんやりと体の奥に疼いたままでした。

そんなときに、冒頭で述べた球体関節人形云々のタイミングです。

これはもう、バチッと連想がスパークしましたね。

球体関節人形というのは、普段は服を着ていています。
そして「静的なイメージを実現するために関節を与えられる」という、
「矛盾を体現するために生み出された悲劇的身体」なんです。

なんていう、出涸らしのダダイズムもどきはもはやどうでもいい。

僕が驚いていたのは「球体関節」のイメージを通じて、
自分の身体感覚を知らぬ間に再認識していたということです。

あの、琥珀ヱビスの夜に感じた下半身のグル―ヴィーな連動は、
お尻の半球を球体関節として意識することで再現可能なのだ、
ということに気付いたのです。

つまり、感覚的な意味においては、自分の身体の一部を、
人形化することに成功したに等しいわけですよ!

言わば「人形の歩き方を身に付けた男」なんて言うと、
ちょっとカッコいいかもしれない。
あ、「人形に歩き方を習った男」の方が事実だな。

そうだ。

僕はあの夜、人形に歩き方を習ったんだ。
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