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僕らはサンチャイルドの友達になれるか

佐野元春が好きだ。

こんなふうにあらためて言う機会はないし、あんまり人に見せる記述でもないので、
今までそういう話はあまりしなかったんだけど、最近になって過去の作品を聴くと、
以前とはまた違った感触を覚えたので、思わずこう書き出してしまった。
それは初めて聴いた時の何とも言えない、胸を掻き立てられるような気持を蘇らせるとともに、
なんというか、「アルバム」という作品単位について考え直すきっかけになったからだ。
佐野元春のアルバム「SOMEDAY」を聴いていると、それぞれの歌の中に、そして歌と歌の間に、
ある少年が大人になっていくような、青春大河ドラマ的な時間の流れを見出すことができる。

1曲目。「Sugar Time」 全ての恋する少年少女の魂を祝福しながら始まる。

2曲目。「Happy Man」 怖いもの知らずな若者が時間を忘れるために都会の夜に踊り狂う。
3曲目。「DOWN TOWN BOY」 傷ついた若者が「やりなおす勇気」を掴もうとする。
4曲目。「二人のバースデー」 拙い愛情が形を成しかけている喜び。
5曲目。「麗しのドンナ・アンナ」 愛は消えてしまいそうだ。それでも捨てきれない夢。
6曲目。「SOMEDAY」 都会。新しい生活。期待と不安。掴みきれない愛。一歩踏み出す。

というところで、「A面」が終わる。
ここが重要なんだよなあ。
僕はCDで元春を知ったので、このアルバム構成はあとから仕入れた知識なんだけど、
これは「アルバムという作品単位」として実に意味があるんじゃないかと思うんです。

ここでは「A面が終わった」という区切りを感じさせるコトがまずは必要になる。
「SOMEDAY」の時点までの、青春の躍動的な部分を歌い尽くしておくというのが、
この曲順を組む必要条件になるということですね。

同時に、「彼はこの後どうなっていくのか」という「B面への期待」を高めることも、
ここに持ってくる曲にとっては大切な役割になってくる。
これを必要条件を満たしながらクリアするには、アルバム前半部のイメージを総括し、
且つ後半部へのイントロダクション的なイメージを残すという、輻輳する時間を描き、
なお繊細に揺らぐ情緒を感じさせるソングライティングが不可欠になる。

その点、ファンの贔屓目は抜きにして、見事にクリアしていると思う。
これだけ上手く聴き手の想像力を喚起するような言葉を、8ビートに乗せて、
意味の躍動するフィット感で歌った曲は、やはり「時代のノリしろ」のような歌だろう。都会で孤独と自由と希望と不安に囲まれている若者の焦りと滾りがスープになっている。独りきりの新しい朝に湯気を立ててがんばっている。

そんなふうにあれこれ考えながら、盤を裏返し、あらためて針を落とす愉しみを、
同時代の文化として味わえないということがやけに寂しく思えてきた。

まあ、A面のある種の寂しさを余韻として響かせながら、B面が始まる。
この始まりもまた秀逸だ。

7曲目。「I'm in Blue」 破れた夢の欠片ごと抱きしめていく優しさ≒負けない強さ。
8曲目。「真夜中に清めて」 愛の周回軌道が離れていく。訣別を突きつけられる。
9曲目。「Vanity Factory」 街の享楽に溺れる。何もかも手放してしまいたい。
10曲目。「Rock & Roll Night」 全ての傷跡が輝きながら俺を押し上げる。今夜こそ。

と、ここで終っていれば、よくまとまったポップロック「曲集」だったろう。
最後にこの謎に満ちた小曲を持ってきたところが、「アルバム」という単位を、
僕に痛烈に感じさせたんです。

11曲目。「サンチャイルドは僕の友達」 この曲だけ、主人公の姿が全く見えない。

これはサウンドと歌詞からして生命誕生がモチーフだと思うのが自然なんだけど、
アルバムを聴き通すと、どうしても親友の通夜の情景にしか思えなくなってくるんです。
生まれたばかりの赤ん坊を「こんなに暖かい一日の光を誰かのために捧げるなんて」
などという言葉で歌いますかね。このアルバムの流れで。

「目を覚ますまで夢の中」なのは当たり前なのに、敢えて歌っている。
それに対応した「目を覚ますまで君のそばに」は「寝ずの番」の交代に思えてくる。

妄想と言われればそれまでだけど、これは元春なりの葬送の聖歌だったんじゃないか。

ということは、この「SOMEDAY」というアルバム自体が、元春が愛しい誰かに捧げた、
「輝ける鎮魂の花束」のようなものだったのではないか。
そのために、ポップスターとしてではなく、詩人としての言葉を刻んだのではないか。
自分自身は、花を包むセロファンのようでありたいと思って、
このアルバムを「編み上げた」のではないだろうか。

いつの日か、誰もが「サンチャイルド」のように召される時が来る。
その日まで、「僕はサンチャイルドの友達」でいられたらいいなと思う。
やり方はまだよく分からないけど。

2011年はたくさんの、数えきれない「サンチャイルド」が生まれた。
どうしようもない悲しみがせり上がってきた。
怒りや嘆きの声もすり潰され続けている。

だけど、元春は個人的な喪失体験を歌の世界で祝福したり、葬ったりしたりしてる。
僕の考察が正しければ、30年前から。

僕たちにもできるはずだ。
僕たちもサンチャイルドの友達になれるはずだ。

(実はこの書き出しは、かつて元春がアルバム「The Circle」の副読本のような形で発行した『Circle of Inocense』で、収録曲「Sweet 16」についてのセルフ・ライナーとして書いた文章の書き出し「バディ・ホリーが好きだ」を真似たもの。)
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