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「この空の花」を観て

映画「この空の花」を観てきた。

関東での上映予定を終えた後の、番外的な上映で、
そういうのが得意なアップリンクで観てきました。

去年は同じ頃に「100,000年後の安全」を観たな。
それは武術家の甲野善紀さんのツイートがきっかけ。

今回はある知人の紹介での観賞。

観終えての感想。
未整理なのでお含みおきを。

傷を傷として、その痛みを癒し、失った力を取り戻し、自らを再生する。
そうした、敗者としての時間を許されずに、高度成長という名のもとに、
「養殖」され続けてきた結果、経済大国という文明の塩柱と化した国に
暮らしている2012年の僕ら(多くの)日本人の姿がある。

「日本人の精神年齢は12歳」と断じた戦勝国アメリカ。
では、当時のアメリカの精神年齢は何歳だったか、自己申告できるだろうか。
僕の考えでは、近代日本を12歳とするなら14歳より上ではないと思う。
いわば子供同士だったのではないか。

子供同士の喧嘩は、決着がつくまで終わらない。
しかし、一人の子供と一人の子供ならば、自ずと限界が見える。

日が暮れれば持ち越しになる。
そして、やがて争いに飽きる。
飽きることができる。
決着の行方より、その日の楽しさの総量が上回りさえすればいい。

だが国同士の戦争となるとそうはいかない。
そもそも近代国家は戦争の準備を効率化するためにある。
僕はそう思っている。
そして殺し合いの効率化を競い、それを証明するために殺し合う。

僕らはそのロスタイムを生きている。
審判の笛を待って50年以上経った。
どうすれば止められる?
この映画は片腕でサックスを吹くのも一つの手だ、と見せてくれた。
やり方はそれぞれにあるはずだと。
映画のみならず、歌舞音曲、書画文物、さまざまな表現がある。
我々の幼稚な傷たちを包んで、一時の花を咲かせて散っていく。
本当にそれら全てを受け入れていいのか?
いままた、まだ血を流し続けている傷たちを生き埋めにしてる
連中がいるんじゃないか?
それが善意のつもりなら、実に悲しいことだ。

僕の地元の平塚市では、一週間前に七夕祭りがあった。
平塚市も、空襲の被災地、被爆地だ。
海軍火薬廠(カヤクショウが変換されないのが実に腹立たしい)
があったので、狙われるのは道理だったと思う。

平塚の七夕祭りは、戦後復興の勢いづけとして始まった。
それから50年ほど、戦後復興の失速後の今も続いている。
しかし、その使命を失ったまま、新たな意味を見つけられない。

この映画を観てから、織姫と彦星が一輪車に乗っている映像を
何度も想像している。
ブン、ブン、ブンブン、ブン、ブンブン、ブン・・・

犠牲者の数や、被災後の空撮写真などは小学校の授業で聞いた
記憶がある。しかし全くと言っていいほど覚えていない。
それをテスト対策のように暗記したくなかったのかもしれない。
我々の傷はそんなふうに採点できるものではないはずだと思う。

「我々」とは、戦争を望まない全ての人のことだ。
弔いを軽んじるつもりはない。
でも、不幸や悲しみの嵩比べなんてしたくない。
それは容易に付け込まれる。
不幸や悲しみを売り渡した結果として、この50年間の物質的な
プラモデルのような平和があったのだとしたら?


観賞後、思いがけず、大林監督の舞台挨拶を聴くことができた。

穏やかな語り口と、言葉の運びから、作品に奉仕するタイプの、
実に実直な表現者なのだというコトを感じた。

話の内容は作品についてよりも、アップリンクのような「姿勢」
に感じるところを述べられていたのが印象深い。

監督の語るところ、若き日は映画興行のシステムに馴染めず、
自ら上映の場を求めて、フィルムとともに日本各地を巡ったそうで、
アップリンクの不揃いな椅子とスクリーンとの距離感が生み出す、
空間の一体感みたいなものが新たな、未知の懐かしさのような、
心地よいものとして発見できたようで、実に嬉しそうでした。

大林監督は、「紙芝居屋さん」よりも歩幅の広い「映画屋さん」
だと思いました。

この映画屋さんは、旅がお好きなようです。

平塚でも上映して欲しい。
いや、すべての被災地で。

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